日本統治時代
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2023-05-29 黒鳥英俊(KUROTORI Hidetoshi)
【黒鳥英俊の動物万歳!】③ 「動物の権利と福祉」考えさせる遺構も点在、新生「新竹動物園」
1914(大正3)年に開園し、台湾最古の歴史を誇るのが台北市立動物園だが、1936(昭和11)年の開園以来、移転することなく同じ場所で歴史をつないできた最古の動物園が新竹市立動物園だ。上野動物園や多摩動物公園で主に大型類人猿の飼育を担当し、現在、認定NPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパン理事長および日本オランウータン・リサーチセンター代表として大学などで類人猿の保護、啓蒙活動を行う黒鳥英俊氏が台北動物園に続き新竹動物園の魅力に迫る。
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2023-05-20 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】① 「タクロウ!」と手をピシャリ!…台湾で「日本精神」に触れ合えた日々
国民的作家、司馬遼太郎が紀行文のなかで「老台北」として紹介し、多くの日本人に台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線に身を置きつつ、特に深い往来交があった筆者が、「老台北」との出会いと別れを振り返る。
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2023-05-16 内海彰(UTSUMI Akira)
【内海彰のふぉるもさ言葉考】② 「台湾華語」とは「台湾の共通中国語」?「台湾語」を「閩南語」と認めたくない?
オランダ、清国、大日本帝国…そして中華民国、統治者が次々に入れ替わってきた台湾の言語事情はまことに複雑だ。現在、「共通中国語」(マンダリンチャイニーズ)が多くの場面で使用されるが、「福建語」の流れにある「台湾語」を話す人々も多く、「客家(ハッカ)語」や原住民の各部族語なども存在する。1949年に蒋介石が「中華民国」ごと台湾に逃れてきたため、広大な中国大陸の各地の言語も流入しており、日本語の痕跡も少なからず残っている。台湾在住26年の筆者が前回に引き続き、台湾における各言語の区別表現を考察する。
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2023-05-07 広橋賢蔵(HIROHASHI Kenzo)
「私には5つの名前がある!」激動の台湾社会を生き抜いた大先輩の改姓名遍歴 【広橋賢蔵の『余はいかにして“台湾”人となりしか』】番外編
台湾人女性と結婚し、長年台北在住ライターとして活躍してきた広橋賢蔵氏がこのほど台湾で帰化申請し、晴れて『新台湾人』となったが、同じような境遇の隣人たちにも興味を持ってインタビューを続けていくと、少し特殊な事例との遭遇も。日本人の母と福建省出身の父の間に生まれ、日本統治時代から戦後の「中華民国」体制へと、激動の歴史の中で4つの姓名を持つ女性の証言からは、台湾の激動の歴史が浮き彫りになった。
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2023-05-06 中央社フォーカス台湾
誠品、次の24時間営業店舗は「松煙店」に 信義店の賃貸契約満了で/台湾
誠品生活のマーシー・ウー(呉旻潔)董事長(会長)は4日、信義店(台北市信義区)が今年末で閉店するのに伴い、松煙店(同)が24時間営業を引き継ぐと発表した。
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2023-05-02 橋本行平 (HASHIMOTO Kouhei)
姉妹都市、姉妹校はよく聞くが…―鉄道にも姉妹協定続々―
国際空港つながりで成田市と桃園市、港つながりで広島県呉市と基隆市などの姉妹都市、京都大学と台湾大学などの姉妹校、日台間には様々な姉妹縁組があるが、実は鉄道にも姉妹協定がある。姉妹駅、姉妹車両(蒸気機関車)、姉妹路線、友好協定など、活発な交流が行われている。日本の鉄道駅と同名の駅は台湾以外ほとんど見ない。
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2023-04-25 中央社フォーカス台湾
高雄の「逍遥園」に文化部の賞 日本時代の別荘、台日の職人が修復/台湾
台湾の高雄市政府文化局はこのほど、報道資料を出し、市の歴史建築「逍遙園」が文化部(文化省)の今年度の「国家文化資産保存奨」に輝いたと発表した。
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2023-04-25 橋本行平 (HASHIMOTO Kouhei)
100年前の今日―裕仁親王(のちの昭和天皇)の台湾行幸―
昭和天皇が皇太子の時、一度だけ台湾に来たことがあります。皇族として初めて台湾の地を踏みました。12日間のご訪問でしたが、記念碑や写真などがいまでも台湾各地に残されています。今年の4月は皇太子裕仁(ひろひと)親王が台湾を行幸されてからちょうど100年目にあたります。花博公園、圓山飯店、一女中、北投温泉など裕仁親王の足跡をたどってみましょう。
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2023-04-17 上水流久彦(KAMIZURU Hisahiko)
【上水流久彦の水準器】② 政治問題化する「桃園県忠烈祠」と「桃園神社」
台湾北部・桃園市にある「桃園忠烈祠曁神社文化園区」(桃園忠烈祠・神社文化公園)が揺れている。日本統治時代の「桃園神社」建物がほぼ原形をとどめているが、戦後は辛亥革命以来の革命家や、中国大陸での日中戦争などで戦没した中国兵士の霊を祭る「忠列祠」となった場所だ。公園の運営を任された民間事業者が、一角に日本の神を祀る神社を設けて活性化を図ったところ、「抗日運動犠牲者も祀られている忠烈祠に、日本の神を祀るのは問題」と地元市議が指摘。市の判断で神は神社以外の場所に遷座させられ、「祀っていた神は今後日本に戻す」という騒動に発展した。前回詳報した経緯に加え、今回は台湾の日本統治時代の建築物の今をどう考えるべきかを模索してゆく。
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2023-04-13 中央社フォーカス台湾
日本時代建設の宿舎が文化施設に 地域の芸術作品など展示へ/台湾
中部・雲林県斗南鎮で日本統治時代に斗南小学校の宿舎として建設された日本式の建物が修復され、11日に文化施設「斗南文薈館」としてオープンした。