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2023-11-10 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】⑤「一本取った」イヤ取らせてくれた⁈ 蔡焜燦氏の元日本人の願い、思いを紡ぎつつ…さらなる別れも(最終回)
自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、日本語世代の台湾人男性の典型として記憶された蔡焜燦(さい・こんさん)氏(1927~2017)。今年7月17日には七回忌を迎えた。日台交流の担い手が世代交代し、交流現場から「老台北」の面影が薄れゆくなか、かつて日台交流ツアーの最前線などに身を置き、生前の蔡氏と深い親交があった筆者が「老台北」死去後の出来事や、その実弟、蔡焜霖氏との別れなどを振り返る。
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2023-11-04 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】④老台北の突然の訃報とその後の「縁」 今も続く「遺徳しのぶひとびと」との集い
自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、日本語世代の台湾人男性の典型として記憶された蔡焜燦(さい・こんさん)氏(1927~2017)。今年7月17日には七回忌を迎えた。日台交流の担い手が世代交代し、交流現場から「老台北」の面影が薄れゆくなか、かつて日台交流ツアーの最前線などに身を置き、生前の蔡氏と深い親交があった筆者が「老台北」との別れなどを振り返る。
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2023-07-15 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】③ 日本人より日本文化に精通⁈博覧強記と「日本を愛せ!」にあまたの日本青年が降参
自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)。今年7月17日は、早くもその七回忌だ。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、かつて日台交流ツアーの最前線などに身を置き、生前深い親交があった筆者が、「老台北」の横顔を振り返る。
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2023-06-17 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】②「冗談とまじめの境い目」に仁とグルメといたずら心…「愛日家」のお茶目な横顔
自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線などに身を置きつつ、生前深い往来交があった筆者が、「老台北」の横顔を振り返る。
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2023-05-20 杉本拓朗(SUGIMOTO.Takuro)
【老台北がいた頃】① 「タクロウ!」と手をピシャリ!…台湾で「日本精神」に触れ合えた日々
国民的作家、司馬遼太郎が紀行文のなかで「老台北」として紹介し、多くの日本人に台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線に身を置きつつ、特に深い往来交があった筆者が、「老台北」との出会いと別れを振り返る。