異国の地に自由を求めて移動する人々はいつの時代にも多い。隣の芝生は青く見えるものだ。大抵は、どこの土地にもそれぞれの土地の自由さ、不自由さがあり、対してどこも変わらないという結論に達するのだが、僕が台湾に見た自由さも、ひょっとしたらそのたぐいのものなのかもしれない。台湾に初めて旅立ったとき、僕は確かに日本でなにもかもがうまく行っていなくて、ふと旅した台湾に自分が求める自由を投影して、手を伸ばした。今思うと、そう考えるのが、妥当なのかもしれなかった。でも、僕は、なんとかそこに本当の自由があるのだということをこじつけようとして、取材を進めたのだった。それは、自分がうまくいっていないということを認めたくないということの証左でもあった。そんなことだから、この本を書くことはやがて行き詰まった。一行も書くことができなくなった。僕は本当に台湾に自由があるなんて思っていたのだろうか。いったんそう思いだすと、筆がいっさいすすまなくなった。でも、僕は、思い直した。何度目かの訪台でのある男との出会いがきっかけだった。その男との出会いで、僕は台湾はやっぱり自由でいい国だなと思い直したのだ。台湾有数の歓楽街で僕が出会ったその男も、自由を求めて台湾にやってきた。男の商売は客引きだった。それも日本人ただひとりの――。
妖艶なネオンが僕の体を包み込んだ。それは甘く、とろけるように僕に絡みついて、離そうとしない。僕は必死にその誘惑を振りほどき、なんとか理性を取り戻す。
「怪しいからあんまり近づかないほうがいいのではないか」
そんな警告的な信号が、僕の脳から発せられた。それがこの街に来たときの第一印象だった。その街の名前は林森北路という。台北車站の北西に位置する大きな通りの名前で、その通り沿いやそこから伸びる路地に無数のスナックやナイトクラブがひしめいている。もともと昔から日本人街としても有名で、日本人の駐在員の遊び場となっている。ほとんどの店は日本人御用達で、五木大学とも呼ばれていた。林と森で木が5つだからだ。そこで、駐在員たちは、夜のホステスたちから、中国語や、台湾の慣習を学ぶのだ。(続く)