2021-12-17 政治・国際

連載「いちにの算数いーあるさんすー」台湾ルネサンス時評:母国語で文学を書くという意味

第二稿:母国語で文学を書くという意味

 

台湾の親日イメージが作られたものであることは、第一回目の原稿ですでに述べた。台湾接収のために日本が敵前上陸した「横浜丸」に、実は森鴎外が乗っていたことはあまりよく知られていない。森鴎外は従軍医師であった。この事実が象徴するように、ここから台湾の日本語文学が始まっていく。

 

日本支配下当時、台湾の新聞は、漢文2/3、日文1/3の割合で誌面が構成されていた。台湾の歴史は、常にどこかの国の支配下に置かれた歴史でもある。すなわち、他国の言語で生きることを強いられたのだ。

 

日本語教育(皇民化政策)が始まると、台湾語の存在感が徐々に薄まっていき、台湾で文学を志す者は日本語で小説などを書くようになった。皇民文学という日本からの踏絵をあらゆる方法で突破し、反・戦争文学や、台湾主体文学なども書かれた。こうして、台湾の文学史が始まっていく。

 

当時、皇民文学と呼ばれたものに、周金波『志願兵』、「文芸台湾」に掲載された陳火泉『道』、王昶雄『奔流』などである。周はこのとき21歳、王も26歳。時代に早熟を強いられた作家たちである。今の我々がこの歳で、これらの小説のレベルと同じものを書けと言われてもきっと書けない。皇民文学も、あらゆる葛藤が詰まった複雑なもので、簡単に現在の視点から否定できるものではなかった。

 

台湾400年の歴史のなかでいま初めて、台湾人自身の「国家」が生まれる可能性がもっとも高い時代に僕たちはいる。中国の習近平は台湾統一をうたっているが、実質、これは支配であるともいえる。台湾に二度と同じような経験をさせてはならない。やっと台湾のオリジナリティが文化の領域にまで及ぶようになって、これから、どんなカルチャーが生まれるのか楽しみな僕としては言語道断だ。なにより、そのような状態は“イメージ”すらできない。

 

(参考文献:黒川創『鴎外と漱石のあいだ 日本語の文学が生まれる場所』(河出書房新社)

 

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