2022-03-22 政治・国際

連載「いちにの算数いーあるさんすー」 台湾ルネサンス時評:歌舞伎町と台湾の不思議な縁を探る

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東京一の繁華街、新宿歌舞伎町。実は、ここに台湾人の面影が色濃く残っているのをご存じだろうか。歌舞伎町と言えば、中国人マフィアを想像してしまうのだが、実は華僑に支えられた街でもあるのである。

例えば、東京初の歌声喫茶「らんぶる」は台湾人が作った。「らんぶる」は現在でもレトロな喫茶店として、若者からお年寄りまで人気の喫茶店として現存している。

区役所通りにあるランドマーク的なビル「風林会館」も台湾人が作ったものである。一階にはヤクザの構想でたびたび名前が上がる有名な喫茶店、「パリジェンヌ」があり、上階にはキャバレーなども要している。ヒューマックスなどの映画館も、その前身から台湾人が作った。そう考えると、台湾人抜きに歌舞伎町の街の成り立ちを考えるのは難しい。

その他、現存はしていないが、有名なお店、「スカラ座」「ムーラン・ルージュ」「地球座」「新宿劇場」「オデヲン座」などがある。

太平洋戦争が終結するまでの50年間、台湾が割譲されてから、日本の統治下にあった台湾。約8万人が日本兵として戦争に繰り出された。戦前から日本に内地留学していた者も多かった。

しかし、日本が敗戦し、今度は外国人として裸一貫で日本に放り出された台湾人は、戦後の闇市で財をなし、焼け野原に新たに構想された繁華街、新宿歌舞伎町を目指した――。

そして、歌舞伎町にたくさんの台湾人華僑が集まり、歌舞伎町の隆盛に関わっていく。そのときの彼らの住宅は中央線沿線で、高円寺などが多かった。現在も高円寺には台湾料理屋が多い。

新宿では、どちらかと言えば、中国料理の店が多く、台湾料理の店は少ない印象があったのだが、有名な建物が台湾人オーナーのものだったとは、知らなかったので、とても新鮮に感じた。

現在では、新大久保にも台湾人街があるらしい。これを機に他の中華街のことも調べてみたくなった。その成果は、いずれどこかで書くことになるだろう。

 

 

参考文献:『台湾人の歌舞伎町』(紀伊國屋書店)

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