2021-12-09 テクノロジー

日本の次世代主要産業は「電気自動車」になる -- TSMCと提携、熊本県の半導体工場建設は国家戦略

注目ポイント

熊本県は、日本のカーアイランドとして知られる—―。九州の真ん中に位置し、その豊富な水資源は半導体工場を建設する上で好条件の立地であるのに加え、当地区にある各半導体、自動車企業は、次なる「電気自動車」という次世代主要産業に繋がっていく。

日本政府はこの電気自動車のために、台湾積体電路製造(TSMC)とSONYに数千億円を助成し、熊本県に半導体工場を建設、半導体産業の再起を図る。日本の専門家達は今回の決定について、日本には選択の余地がなかったことを強調し、TSMCとの提携は国家戦略として非常に重要であり、今後20年先の日本の発展にも影響を与えるとした。


日本の半導体発展が衰退した理由


「半導体は現代電子産業の中核である」――これはアメリカの半導体会社アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)が、この業界に対して言った最もシンプルなコメントである。

パソコン、スマートフォンなど様々な電子機器のいずれにおいても、ユーザーが入力した指示に対し正確に作動できるのは、大部分が半導体のおかげである。


最初の半導体は1958年に誕生した。それ以降、真空管に代わり電子製品の主要部品となった。数年後インテルの創設者の一人であるゴードン・ムーア氏は、集積回路上に収容できるトランジスタの数が、約2年ごとに倍量ずつ増えていくことに気付く。1965年以降、この「ムーアの法則」は、半導体開発上の鉄則の一つとなった。この発見は、半導体市場の未来にとって大きな希望となり、日米を含む先進国が各国の技術力を競う主要産業の一つになった。


1980年代には、アメリカのドル高の影響もあり、半導体メモリーチップDRAMの需要が世界の半導体市場の80%を占めた。「日経中文網」によると、この高い市場シェアに対し、アメリカ企業は不満を募らせ、1986年には日米間で「日米半導体協定」の締結を迫り、日本の半導体産業の成長スピードに抑制をかける形となる。それ以降、アメリカはパソコンや従来の携帯電話の普及を通じて韓国や台湾、その他の企業サポートに力を入れた。


その結果、両国の価格競争と技術レベルの成長は著しくなったものの、日本の同分野においての発展スピードは緩まった。また、半導体製造の分野では、製造過程において高いコストがかかるのに対し利益が少なく、大量の汚水も生み出してしまう。さらに当時の新興国からの追い上げのプレッシャーも重なり、日本企業の工場拡大スピードは鈍化してしまった。


当時、半導体業界も大きな変化の時期であった。報告書によると、1990年代後半から2000年代にかけて、台湾積体電路(TSMC)が構築した「設計」と「製造」、各専門分野における分業制をとることで、電子製品のコストを大幅に削減したビジネスモデルは、ファブレス(工場を所有せずに製造業として活動を行うこと)IC企業を確立させた。そして、その形態が、今や世界的なビジネスの原型となっている。

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