2023-11-19 政治・国際

「キャベツ」は何と呼ぶ?伝統市場で思う台湾の複雑な歴史【梶山憲一の街歩き台湾】②

© 木新市場=台北(内海彰撮影)

注目ポイント

何気ない日常の光景のなかにも物語は潜んでいる。2泊3日の観光旅行ではあまり足を踏み入れる機会のない台湾地元住民の生活圏「菜市場」を歩いていると、台所の定番野菜であるキャベツが目に飛び込んできた。台湾の人々はこれを何の疑いもなく「高麗菜」と呼んでいるが、キャベツは朝鮮半島が原産地ではないはずだ。ではなぜ?…雑誌・書籍編集者として台湾でも活躍してきたベテランライターが、台湾の街角を散歩しつつ、台湾の素顔を紹介する。

彼らは南方の血統をもつ人たちで、一説には、台南平原に移り住んだ人びとが、やがて分化し、山地や平地に住む「原住民」の各族になっていったと考える研究者もいる。

台南は、そういう意味でも、「台湾が始まった土地」のようだ。何千年ものあいだ、台湾には人びとが暮らしていたのだ。

彼らは、台湾でただ静かに暮らしているような人びとではなかった。船で南方や東方へと乗り出す人びとでもあった。そのあたりのことは別の機会に書いてみたい。 *

大航海時代ともなると、その人びとが暮らす台湾へ、中国大陸や日本列島の貿易商人や海賊といった人たちが入ってきて、台湾を中継基地にするようになった。

さらにそこへ、オランダ東インド会社を設立したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)は、澎湖島での明の軍隊との対峙を経て、1624年に台湾島に入る。そして、海に面した土地に「ゼーランディア要塞(Fort Zeelandia)」を築くなど、台湾統治へと乗り出した。

「水仙宮市場」から「ゼーランディア要塞跡」である「安平古堡(熱蘭遮堡とも呼ばれる)」までは徒歩で2時間くらいの距離があるが、散歩が好きなら街の景色を楽しみながら歩くのもいい。

安平古堡(熱蘭遮堡とも呼ばれる)に遺るゼーランディア要塞の遺構=台南(筆者提供)

その「ゼーランディア要塞」を拠点にしたオランダの統治とは、対岸の福建や広東から漢人の移民を集め、台湾の開拓に当たらせる一方、平地原住民(平埔族)には武力で威嚇・制圧したり、キリスト教を伝導したりして、その支配をもくろむものだった。

もちろん漢人移民には、開拓した土地で米や野菜といった農業や豚などを飼うといった食糧生産にも従事させることになった。オランダ人が持ち込んだキャベツ栽培もその延長で行われたと思われる。

付け加えるなら、いまや台湾の名産として知られるマンゴーも、この時期にオランダが持ち込んだものだという。

繰り返すが、こうしたオランダの台湾統治は鄭成功の軍がオランダの兵と対峙し、これを投降させた1662年まで続いた。

オランダの商船とゼーランディア要塞

 

日本統治の影響だけではない台湾の姿

ちなみにオランダは、17世紀に北アメリカの一部も植民地化したが、北アメリカにもキャベツを持ち込んだろうか。オランダだかどうか判然としないが、キャベツは17世紀にアメリカに伝わったとされている。

アメリカで定着した、細かく切ったキャベツのサラダは「コールスロー」(coleslaw)と呼ばれるが、オランダ語の「キャベツ」の名を冠した「koolsalade」(キャベツサラダ)を短くした「コールスラ」(koolsla)から転化した呼び名、要するにオランダ語からの外来語だ。

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