注目ポイント
何気ない日常の光景のなかにも物語は潜んでいる。2泊3日の観光旅行ではあまり足を踏み入れる機会のない台湾地元住民の生活圏「菜市場」を歩いていると、台所の定番野菜であるキャベツが目に飛び込んできた。台湾の人々はこれを何の疑いもなく「高麗菜」と呼んでいるが、キャベツは朝鮮半島が原産地ではないはずだ。ではなぜ?…雑誌・書籍編集者として台湾でも活躍してきたベテランライターが、台湾の街角を散歩しつつ、台湾の素顔を紹介する。
水仙尊王は海の神で、17世紀後半ごろのこの地には、すぐそこから海が広がっていたようだ。そして、いまの「水仙宮市場」のあたりには、海から「台南府城」へと物資を船で運び入れる運河が通り、河港があって物資の仕分けや売買も行われていたという。
そういう物の流通や売り買いが行われていた土地柄はずっと続き、今日に至っているというぐあいである。
「水仙宮市場」には100を大きく超える店舗が並んでいて、つみれの一種の魚丸や、おこわにも似た油飯、海産物を具にした麺類など、食べ歩きにもってこいの飲食店も多く、観光客も楽しめる市場なのだが、私の目的はキャベツにあった。
キャベツを売る店はすぐに見つかったが、キャベツの名称「高麗菜」と書いた札がなかったのが不満だった。

「高麗菜」実はオランダ由来の外来語
台湾でのキャベツの名称は「高麗菜」。その発音をカタカナでそれらしく表すと、「ガォリィツァイ」とか「コォレェツァイ」といったところだ。前者は戦後に公用語になった華語(共通中国語)の発音で、後者は台湾語(ホーロー語=台湾閩南語)だ。
ところが同じ華語ではあっても、台湾海峡の対岸の中国ではキャベツの名称は「巻心菜」とか「洋白菜」などであり、「高麗菜」とは言わない。
また、キャベツの原産地は朝鮮半島ではないし、朝鮮半島から台湾にキャベツが伝来したという事実もない。
「高麗」は、オランダからの外来語だという。
17世紀前半、大航海時代のポルトガル、スペイン、オランダなど西洋諸国は台湾を開拓地としてきたが、特に台南を拠点として比較的長くこの地を支配したオランダは、1662年に先述の鄭成功政権に駆逐されるまで、赤レンガづくりの赤崁楼など多くの西洋文化をこの地に残した。「キャベツ」もまた、オランダが台湾にやってきた17世紀に台湾に伝わったもののようなのだ。
当時、台湾にいた漢人は対岸の「閩(びん=いまの福建省)」の泉州や漳州から渡ってきた人たちで、彼らの言葉は「閩南語」、つまり今日の「台湾語」(ホーロー語)の基になった言葉である。
「高麗(コォレェ)」は、オランダ語でキャベツを意味する「kool(コォール)」の発音が転化したものだ。
事実、清代になってからの『続修台湾府志』に、「キャベツはオランダが持ってきたもの」という意味の記載がある。
オランダ統治とキャベツ栽培
台湾には、5万年前から人が住んでいた。
しかし、現在の台湾で言う「原住民」(台湾で「先住民」は「滅亡した」意が含まれるため使用されない)につながる人びとは、1万5000年前、氷河期で台湾がまだ中国大陸と陸続きのころに、大陸から、東南アジアから来た人たちや、その後、南から船で渡ってきた人たちだと考えられている。
