前回は日本における「ヤングケアラー」の今を考察してみた。児童福祉にかかわる組織・団体においては、言葉と共に概念についての認知度が徐々に高まってきているものの、一般的にはまだ周知されていないのが現状である(注1)。では、同じアジア圏の台湾ではどうだろうか。
台湾では子どもの福祉に携わる家扶基金会(Taiwan Fund for Children and Families:公益財団法人子どもと家族のためのファンド)が、台湾初の児童養護施設を設立したのを皮切りに、1950年代から子どもに対する援助が提唱され、1980年代からは大手銀行、家電メーカーなどの企業もこの取り組みに加わるようになった。子ども食堂などNPOが立ち上げた支援活動や地域の支援センターに対して、企業が資金を提供する形で多くの家庭を助けてきた(注2)。一般人からの募金やボランティア活動もこれらNPOの大きな支えとなっている。
台湾では自治体や政府の介入よりも、民間の方が迅速かつ的確に子どもとその家族に対する支援活動を行ってきた。なぜこのようなことができたのか。考えられる理由の一つとしては、台湾が移民社会であることがあげられる(注3)。古くから台湾で暮らしてきた先住民族以外、ほとんどの台湾人は17世紀以降、中国大陸から渡ってきた移民の子孫である。
当時の清国にとっての台湾は「化外の地」であり、建設するどころか、女性の渡航を制限するなど、海禁策を打ち出して自国民の移住を抑制しようとさえしていた。そのため台湾では長い間、清国の統治よりも、各移民コミュニティによる自治が、実質的な効力をもっていた。その証拠が各地に見られる華麗な寺院である。移民によって建てられたこれらの寺院に規模の違いはあれど、彼らを安定させる心のよりどころであったのと同時に、村の中心地である市場や寺子屋、重大事を決める議事堂でもあった(注4)。台湾の人々は昔から助け合うという生存戦略を取ってきたのである。
寺の代表者には、地方の有力者が選ばれることが多く、彼らは地元の情勢に詳しい上に、独自のネットワークを築いてきたため、必要とされる資源を適切な場所に届けやすい。その名残として、政治と経済を中央政府が主導するようになった今でも、行政が動きにくいところでは市民たちが主体となって目の前の課題を解決しようとする傾向がある。例えば、東日本大震災の時に台湾からいち早く義援金が届いたことに日本の人々は驚いたが、台湾人からして見れば、最も親しい隣国の友人のために当たり前のことをしたまでである。