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2023-11-08 政治・国際

台湾原住民パイワン族戦士の頭骨が英国から里帰り 背景に日本の台湾出兵

© エディンバラ大学と台湾代表団との間で行われた頭骨返還儀式の様子=2023年11月3日、英スコットランド(胡川安教授提供)

注目ポイント

日本統治時代に「高砂族」と呼ばれた台湾の原住民。その中の一種族「パイワン族」の戦士4人の頭骨が百数十年の時を経て、英スコットランドから台湾へ里帰りすることが決まった。英エディンバラ大の解剖学教室の倉庫に保管されていたもので、頭骨は11月6日、無事航空機で台湾に運ばれた。頭骨が同大倉庫に眠っていた経緯については、明治日本による台湾出兵との深い関りがあった。

11月3日、英エディンバラ大学で感動的な儀式が行われた。同大学の解剖学教室の倉庫に眠っていたパイワン族戦士4人の頭骨が、100年以上の時を経て、台湾に戻ることが正式に決まったからだ。頭骨は6日、航空機で台湾に運ばれた。なぜ、台湾からみれば地球の反対側にあたる英国・スコットランドにパイワン族の頭骨が?その原因は、来年150周年を迎える1874年の日本・明治政府による台湾出兵と切り離せない関わりがある。

台湾出兵最大の戦闘「石門の戦い」で斬首

1871年に琉球・宮古島の船が台湾南部に座礁。船に乗っていた島民54人が、パイワン族に殺害された。明治政府は報復のために台湾へ出兵。牡丹社など現在の屏東県一帯に攻め込んだ。明治維新政府にとって初めての海外出兵で、日本では「台湾出兵」と歴史の教科書に書かれる。その際、いまの屏東県車城郷・四重渓温泉の近くにある石門で、現地の牡丹社のパイワン族と日本軍との間で激しい戦闘が起きた。「石門の戦い」と呼ばれるもので、台湾出兵のなかでも最大の戦闘となった。

(編集部注・パイワン族とは日本統治時代「高砂族」と呼ばれたオーストロネシア語族に属する台湾原住民の一種族で、主に台湾南部に居住する。ちなみに台湾では「先住民」は一般に使用されない)

この戦闘の死者数については、記録によってばらつきがあるが、パイワン族の方は、牡丹社の頭目親子も含めた十数人が戦場で死亡し、さらに多くの戦士がのちに負傷のため亡くなったとされる。日本軍にも数名の死者を出している。

問題は、その際、日本軍の兵士が、パイワン族の戦士の遺体から首を切り落としたことだ。12人の頭部を切り落としたとされる。その直前に、日本軍の兵士が殺害されて首を落とされたことも日本兵の感情が高ぶった原因との見方もある。ただ、日本兵の暴挙について、派遣軍の司令官だった西郷従道陸軍中将は激怒したとされる。だが、その後の頭骨の行方はわかっていなかった。

エディンバラ大学と台湾代表団との間で行われた頭骨返還儀式の様子=2023年11月3日、英スコットランド(胡川安教授提供)

台湾側の調査で浮かび上がった重要文献

それからおよそ140年以上が過ぎて、2019年になって台湾側で調査が始まり、歴史作家の陳耀昌氏が講演で頭骨がエディンバラ大学にあることを明らかにするなかで、重要な文献に光が当てられた。

それは米国人医師のスチュワート・エルドリッジ氏が1877年3月14日に発表したとされる「福爾摩沙牡丹人頭顱記要」(Note on Crania of the Botans of Formosa、台湾の牡丹人の頭骨に関するノート)という報告だ。そして、もう一つが、1907年に英国の解剖学の研究者、ウィリアム・ターナー教授が発表した頭骨に関する論文である。この二つの文章は40年の時差をもって発表されたものだが、どちらも同じ牡丹社のパイワン族の兵士の頭骨を論じていたのである。

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