注目ポイント
「ただ、すべての波が花蓮から始まることを知るのみ」 ――楊牧〈瓶中稿〉
文・曾蘭淑 写真・莊坤儒 翻訳・山口 雪菜

高校の国語の教科書には、楊牧の散文〈壮遊〉〈十一月的白芒花〉が掲載されていて、しばしば入学試験にも出たものだ。楊牧の詩は多くの学生たちの揺れ動く心に寄り添ってきた。和碩(ペガトロン)の童子賢董事長が資金を出して台湾大学社会科学部の建物を修復した時は、自らの名を冠するのではなく、学生たちが知識だけでなく、智慧と思いやりを持てるよう楊牧の詩〈学院之樹〉を廊下の突き当りに刻んだ。
「博学の詩人」とされる楊牧は、東海大学外国文学科を卒業後、米国に留学、その後30余年にわたり米国で教鞭を執ってきた。55歳の時に帰国し、東華大学人文社会学部を創設。太平洋に面した花蓮とシアトルで人生の半分ずつを過ごした。1974年、シアトルで西の水平線に沈む夕日を見て、その彼方にある故郷に思いをはせ、〈瓶中稿〉に「ただ、すべての波が花蓮から始まることを知るのみ」と記した。花蓮は楊牧の文学における重要なメタファーであり、その詩から花蓮の風景が浮かび上がる。

故郷の養分
香港の作家・西西は、文学作品や映画を通して台湾を知ることができるが、真に花蓮を知るには楊牧の詩と散文を読むべきだと述べている。「楊牧は花蓮が誇る人物に違いありません」
実際、楊牧は自ら「花蓮は私の秘密兵器」だと語っている。東華大学楊牧書房を主宰する許又方教授もこう話す。「楊牧が詩人となった、その教育と養分は花蓮で得たものですから、彼の心の中には口にはできない深い思いがあるはずです。さらに武器には攻撃性と防御性があり、楊牧の詩の防御と進撃はいずれも花蓮なのです」
許又方は、楊牧を読む場合、奇莱前後書から入るのがよいとアドバイスする。特に『奇莱前書』には花蓮への思いと記憶があふれていて、自伝的な散文と言える。
楊牧は花蓮の地名を冠する詩を多数書いている。楊牧の愛弟子であり、東華大学創作および英語文学研究所を創設した曾珍珍所長は、これらは台湾の歴史や地理に対する自らの関心を形にしたものだろうと語る。
ここでフォーク歌手の楊弦が作曲し、楊牧が作詞した楽曲〈帯你回花蓮(君を花蓮へ連れて帰ろう)から、楊牧文学の花蓮の旅を始めよう。
田畑のある谷へ一緒に滑降しよう
ここは私の故郷
……
地形は純白の雪の線を最高位とし
一月の平均気温は摂氏十六度
七月の平均は二十八度
年間雨量は三千ミリ
冬は北東の風が吹き
夏は南西の風が吹く
物産は豊かとはいえないが