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2023-11-04 政治・国際

【老台北がいた頃】④老台北の突然の訃報とその後の「縁」 今も続く「遺徳しのぶひとびと」との集い

© 老台北の訪日時の行きつけだった「鳥八」=2023年10月28日、東京・新宿区下落合(吉村剛史撮影)

注目ポイント

自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、日本語世代の台湾人男性の典型として記憶された蔡焜燦(さい・こんさん)氏(1927~2017)。今年7月17日には七回忌を迎えた。日台交流の担い手が世代交代し、交流現場から「老台北」の面影が薄れゆくなか、かつて日台交流ツアーの最前線などに身を置き、生前の蔡氏と深い親交があった筆者が「老台北」との別れなどを振り返る。

蔡先生兄弟が愛した「偲ぶ会」の会場

2023年7月15日夜、東京・目白駅に近い「鳥八」という昔ながらの居酒屋に、老台北、すなわち生前の蔡焜燦先生とご縁があった人達が集い、恒例の「蔡焜燦先生を偲ぶ会」を開きました。今回は蔡先生の7回忌にあたるため、例年にも増して盛大な会になりました。

蔡焜燦さんの訪日時の行きつけだった「鳥八」=2023年10月28日、東京・新宿区下落合(吉村剛史撮影)

この「鳥八」は湾生(日本統治下の台湾で生まれた日本人)の方が開いたお店であり、そうしたご縁もあって、蔡焜燦先生と、先生のお兄様が日本に来られた際には、必ずこのお店に立ち寄るほどにひいきにされていたそうです。

台湾歌壇月例会に出席した際の「老台北」蔡焜燦氏=2014年4月27日、台北市(吉村剛史撮影)

さて、蔡焜燦先生はこれまで筆者との交流や思い出などを多々書きつらねてまいりましたが、蔡先生のご実弟の蔡焜霖(さい・こんりん)先生につきましても、ここでどうしても触れておかねばなりません。

台湾の児童雑誌「王子」の創刊者で、1930年に日本統治下の台湾・台中生まれ。

戦後蒋介石と中国国民党の独裁政治体制下で起きた台湾本省人に対する政治弾圧、すなわち「白色テロ」に組織的に反抗した、という事実上無実の罪に問われ、懲役10年の判決を受けて1960年まで服役したといい、兄に負けず劣らずの反骨の日本語世代人でした。

出所後の66年に「王子」を創刊し、日本の漫画の翻訳や、日本の漫画の作風を取り入れた台湾の漫画を積極的に掲載したことから、2021年、日台相互理解の促進に貢献したとして、日本政府から旭日双光章を受章しています。兄・蔡焜燦先生が短歌を通じた日台交流への貢献で2014年春に旭日双光章を受章したのに続く、兄弟での受章でした。

その生涯につきましては、岩波書店から翻訳出版されたが歴史マンガ「台湾の少年」(岩波書店、全4冊)の主人公として描かれていますので、ご興味のある方は、ぜひご一読いただきたいと思います。

翻訳出版されたが歴史マンガ「台湾の少年」(岩波書店、全4冊)

 

老台北が世を去った日

さて、本題である今年の蔡焜燦先生を「偲ぶ会」に話を戻しましょう。

老台北が2017年に他界され、その翌年に偲ぶ会を始めたころはしんみりとした集いでしたが、「みんなの元気な姿を蔡先生に見せることが大事だ」という意見もあり、次第に各人の胸の中に生き続ける蔡先生の思い出話や台湾話で盛り上がる会となりました。もちろんお別れのことなども思い出し、時に涙腺をゆるませつつ、ではありますが。

特に今年の偲ぶ会は、はるばると台湾からのお客さんも参加され、こういうご縁をくださった蔡焜燦先生に感謝し、先生が案じた日本と台湾の絆を考える会となりました。

往時茫々ですが、このように皆さんと集い、談笑のなかで思い出すのはやはり2017年7月17日、日曜日のことです。

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