注目ポイント
2か月近く動静が途絶えていた中国の李尚福国防相(65)の解任が決まった。7月の秦剛氏の外相解任に続き、重要閣僚が就任から1年も経ずに相次いで解任される異例の事態だ。今回も理由は明らかにされなかったが、汚職に関連して調査を受けていたとの報道もある。李氏とはいったいどのような人物だったのか。
前外相に続く閣僚解任劇
中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は10月24日、2か月近く動静不明となり、汚職に関与したと取り沙汰された李尚福氏の国防相解任を決めたと国営中央テレビが伝えた。後任の国防相は報じられなかった。
中国では6月に動静不明となった前外相・秦剛氏が7月に外相を解任されている。昨年10月の第20回共産党大会を経て発足から1年となった3期目の習近平指導部は、外交・安全保障の主要閣僚が姿を消す異常事態となっている。
全人代常務委員会は李前国防相が兼務する国務委員と中央軍事委員会委員としての役職も解任すると決定。あわせて秦前外相についても、兼務していた国務委員の役職を解いた。会議は同日まで5日間の日程で開かれ、人事のほか法案が審議された。
ロケット軍が舞台の汚職に関与か
解任の理由は明らかにされていない。中国軍で核ミサイル部隊を管轄するロケット軍で汚職の疑いが取り沙汰され、李氏も当局の調査を受けているとの憶測がある。7月31日にはロケット軍の司令官と政治委員が同時に交代する異例の人事が発表されていた。
香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは、今回の解任劇が中国の宇宙計画に貢献した航空宇宙専門家でもある李氏の40年にわたるキャリアに終止符を打ったことを意味すると伝えた。
李氏は今年3月に国防相に任命されるまで、中国の航空宇宙計画の重鎮で、米国の制裁リストに載った初の国防相として世界的な見出しにもなった。
父も高級将校、自身は技術畑の実力派
1958年、四川省生まれの李氏。出身は東部・江西省となっている。父親は紅軍(中国人民解放軍の前身)を退役した後、人民解放軍鉄道軍の高級将校として仕官し、内戦と朝鮮戦争中に物流鉄道を再建したことで知られた。
李氏は1978年に国立国防技術大学に入学すると同時に人民解放軍に入隊。1982年に卒業してすぐ、四川省涼山イ族自治州西昌市郊外にある西昌衛星発射センターに技術者として採用された。
2003年には同センター所長に就任。その後、中国宇宙計画のシンボルとして知られる同センターのトップとして尽力した。07年には月を周回する中国初の無人宇宙船「嫦娥1号」の打ち上げを指揮。所長として10年間の在職中、2010年の月探査機「嫦娥2号」を含む数多くのロケットを打ち上げた。
2010年の国営放送CCTVとのインタビューで李氏は、自身の夢はあと8年仕事を続け、退職までに100回のロケット打ち上げを行うことだと語った。
軍中核で参謀長、副司令官など歴任し出世
だが、李氏は13年、人民解放軍総軍備部(GAD)の参謀長に任命された。当時、GADは政策立案と兵器システムの設計、開発、生産、調達の監督を担当する中国軍の主導機関だった。その3年後、習近平国家主席による人民解放軍最高司令部の見直しの一環として、GADは中央軍事委員会の装備開発部(EDD)に再編成された。