注目ポイント
今年8月に開催されたBRICS首脳会議において、オリジナルメンバーであるブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国のうち、ロシアの地位は戦争のダメージを受け、中国も経済不況や人権問題の方に関心が持たれている。一方、ナレンドラ・モディ首相が率いるインドは世界第5位の経済大国となり、今回のBRICS諸国の中でも特に注目を集めた。モディ首相がこの10年でインドを世界の大国に育て上げた重要なポイントは3つある。
2023年のインドのGDP成長率は5.9%と推定され、中国の5.2%、アメリカの1.6%を上回る。巨大な労働力と市場、そして地理的な優位性を持つインドは、他国から見れば中国に代わる新たな選択肢となった。
だが、この新興大国のリーダーであるナレンドラ・モディ首相は、どのようにしてインドを10年で第5位の経済大国にし、さらにはアメリカが抱き込みを図ろうとする国にできたのだろうか?
宗教的影響力で国を立て直す
モディ首相がインドを立て直した最初の手法は、宗教の力を使って国を動かすことだった。1950年にインド西部の州で生まれたモディ首相の家族は、身分が低いカースト出身だった。モディ首相が8歳になったとき、彼は人生を変えるきっかけとなった民族義勇団(RSS)に加わった。RSSは、国全体とヒンドゥー文化は一体であると信じる組織で、その設立の目的はヒンドゥー教を広めるためであり、そうすれば国を強くすることができると考えていた。
そのため、RSSのメンバーは宗教的な訓練プログラムを受けることが義務付けられているだけでなく、他の宗教を否定するよう教えられており、ヒンドゥー民族主義の色彩が強い組織と考えられている。モディ首相が属するインド人民党(BJP)は、RSSと密接な関係にあり、モディ氏は8歳の頃からRSSで育ったため、信仰も信条もRSSから深い影響を受けている。
モディ氏が首相に就任したばかりの2014年当時、インドはまるで多頭立ての馬車のように、同じ方向へ一緒に進むことができず、そうした多元的で分裂的な状況はインドの歴史が背景にあった。インドが独立を宣言したのは1947年と早かったが、当時はまだインド全土が実に500以上の属国で構成され、独立当時3億人あまりの人口が話す言語は1000を超えていた。現在最も多く話されているヒンディー語でさえ40%程度しか普及していなかった。したがって「良好なコミュニケーション」が課題となっていた時代には、団結することはさらに難しい。
さらに領土問題もインドの団結を難しくしていた。かつて、イギリスの植民地政府はインドとパキスタンを宗教で分けることを強要する一方、イスラム教徒が多数を占めるカシミール地方はインドに分割され、両国の間に長年の対立が生まれることになった。
また、長年続いてきたカースト制度が未だに一定の影響力を及ぼし、多くの意思決定が必ずしも能力ではなく、カーストに基づいてなされ、それが国家レベルまで拡大されることで、行政効率を大きく低下させるだけでなく、階級による社会的分断を深めている。