注目ポイント
新卒で入社した帝国ホテルの仕事を辞し、英語力ほぼゼロのまま単身フィリピンへ。母親への生存確認のために始めたYouTube動画がバズったことを皮切りに、フィリピンの国民的リアリティショーへの出演を経て、瞬く間に「フィリピンで一番有名な日本人」となったFumiyaさん。「夢は口に出せば叶う」をモットーに、アパレルブランドの立ち上げや日比での社会貢献活動に取り組む28歳の“ミラクル続きの人生”、そして次に見据えるステージとはーー。
生存確認で始めた動画が1千万回再生
フィリピンに来たのは英語の勉強が目的でした。といっても普通の語学留学ではなく、働いていた帝国ホテルでフィリピンをルーツに持つ同僚に、フィリピン人のおじさんを紹介してもらったんです。「せっかく入社したのに」と残念がってカナダ留学を勧めてくる母を、自分のお金で行くからと説得して、「生存確認のための動画をアップする」と約束して始めたのがYouTubeです。
居候させてくれたおじさんの家は、屋外でシャワーを浴びるような“ローカル”な街にありました。TOEICのスコアは185点。留学当初はお腹が空いたら「ハングリー!」、おいしかったら「デリシャス!」と、子どもみたいに話していましたね(笑)。今でも僕はフィリピン人の明るさに助けられています。言葉が通じなくても笑ってくれるし、大切なのは伝える気持ちだと思います。
移住してひと月後、SNSで突然バズりました。ローカルフードのバロット(孵化直前のアヒルの卵)を食べる動画を投稿したら、Facebookで1千万回再生されて。2017年のことだからTikTokは普及していなく、K-POP人気も今ほどではなく、日本でそんな数字を見たことはありません。
理由を探ると、人口1億1千万、平均年齢20代前半の国に、Facebookのアクティブユーザーが9千万人もいて、日本でいうHIKAKINさんのようなYouTuberはまだ登場していなかった。ならば僕がフィリピンで一番有名な日本人になろうと思い、翌日に語学学校を辞めて、フィリピン人に向けて英語で動画を撮り始めました。
SNSでバズるきっかけになったバロットを食べる動画(FumiyaさんのYouTubeチャンネルより)
ミラクル続きで実現した国民的番組への出演
「PBB(PINOY BIG BROTHER)」は、僕の名前を全国区にしてくれたフィリピンの国民的リアリティショーです。この番組への出演もミラクルが重なって実現したものでした。
実は、留学して5カ月後に貯金が尽きて、しばらく日本に帰ってきていたんです。「有名人になる」と大風呂敷を広げてきたから地元の浜松には帰れず、埼玉に部屋を借りて、収入は1日数百円の動画の収益のみ。ごはんは1日1食、塩で味付けしたパスタだけ。電気やガスも止められて、それでも21歳の時間をバイトに費やすならばYouTubeに賭けて餓死しようと投稿を続けていました。
大切にしていたのは「やりたいことは口に出せば叶う」という父からの教え。インスタグラムのフォロワーにセブ島の人が多かったから、会う人みんなに「セブ島でイベントをやりたい!」と話していたところ、偶然知り合った航空会社の偉い人が興味を持ってくれて、飛行機、ホテル、会場となるモールもすべて手配してくれた。