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2023-10-22 観光

鍾老が描いた故郷  龍潭文学の景観

注目ポイント

ヨーロッパ地中海沿岸を原産地とする魯冰花(ルピナス)は、多くの台湾人に一種の親しみを感じさせる。毎年2月末から3月に咲くこの花を、茶農家では冬に土壌へすきこんで肥料にする。『魯冰花』は鍾肇政(1925-2020)の長編処女作のタイトルでもある。この作品では、絵画に天賦の才能を持つ少年が周囲の理解を得られず、病気により夭逝するストーリーが描かれている。1989年に映画化され、ある世代の人々が共有する思い出となっている。

文・鄧慧純 写真・莊坤儒 翻訳・黒田 羽衣子

『魯冰花』の作者・鍾肇政(文学界では尊敬と親しみを込めて「鍾老」と呼ばれる)は、『台湾文学史綱』の著者・葉石濤と共に「南葉北鍾(北に鍾肇政あり、南に葉石涛あり)」と並び称される。葉石濤は台南出身で、台南はよく知られた観光都市である。そのため、行政と民間が協力し、葉石濤に由来する「文学の道」がすでに数多く開設されている。鍾肇政は素朴な客家集落・龍潭の出身であり、2019年に「鍾肇政文学生活園区」がオープンした。鍾肇政に焦点を当ててデザインされた文学的景観は、龍潭を訪れる観光客の人気スポットとなっており、そこでは鍾老の作品の数々を目にすることができる。

鍾老は生涯、自分のことだけを考えている人ではなかった。文学仲間をあつめて「文友通訊」を設立し、後進を抜擢し、台湾文学史に大きな影響を与えた。(資料提供:外交部)

 

自分のことだけを考えていられない鍾肇政

「鍾肇政文学生活園区」に足を踏み入れる前に、鍾老についてご紹介しよう。鍾肇政は「台湾文学の母」と称されるが、これは作家・東方白が彼をこう表現したことに端を発している。鍾肇政の次男・鍾延威が父のために執筆した伝記『攀一座山:以生命書写歴史長河的鍾肇政』(山をよじ登る:生命をかけて歴史の河を描いた鍾肇政)の文中にこう書かれている。「鍾老は別段、抗議するでもなく、『男なのに、どうして母になれるんだ?』と時々つぶやくだけだった」それには理由がある。鍾肇政は生涯、生み出し続ける作家だった。その手で書いた文章は2000万文字余りに達し、『濁流三部曲』、『台湾人三部曲』などの大河小説を遺した。さらに後進の育成と、先達の紹介に力を注ぎ、「還我母語運動」(母語を還せ運動)や「客家復興運動」にも参加した。作家・朱宥勳は自身の文学評論集『他們没在写小説的時候』(彼らが小説を書いていない時)の中で、これらの活動について「鍾肇政は自分のことだけを考えていられないから」と表現している。まさに言い得て妙である。

鍾老は生涯を通じて客家語、日本語、台湾語、中国語の4言語を自由に操ることができた。その中でも中国語は最後に習得した言語だった。日本統治時代に生まれ、1945年に政権が変わり、21歳ではじめて中国語の書籍を手に取った。苦学すること6年、ようやく言葉の壁を超え、流暢な中国語で執筆が可能になると、各新聞・雑誌に投稿を開始する。しかし採用されず、原稿が送り返されてくることも少なくなかった。1957年、鍾肇政は龍潭の自宅から最初の一通を投函した。台湾本土の作家による文学同人「文友通訊」を立ち上げ、一致団結し、共に議論し、文学の技術と芸術性を高めあうことを呼びかける招待状であった。

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