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2023-10-19 ライフ

「スクーター文化」が物語る台湾人の二面性 独立心とエゴイズム

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注目ポイント

スクーター(機車)は台湾でよく使われる乗り物で、より圧力の少ない統治を好み、大きなコミュニティよりも自分や家庭を優先する台湾人のメンタリティを象徴している。

筆者:Chien-Cheng Chiu

18歳から日本に留学している私にとって、台湾で初めてスクーター(機車)に乗ったのは奇妙な体験だった。スクーターは気ままな「自立」の良さがある。車や地下鉄と違って、スクーターは幹線道路や橋から街の細い路地まで、どこへでも連れて行ってくれる。その反面、「不安と危険」の感覚もある。スクーターライダーは何の保護もなく、風や街の匂いを感じ、典型的な台湾の路上でのあらゆる危険に直面する。

スクーターは台湾文化の象徴だ。「バブルティー(泡沫紅茶)や夜市と同じようにスクーターは台湾文化の一要素である」という決まり文句を繰り返すつもりはない。私がここで「スクーター」と呼んでいるのは、危険と不安を伴う独立精神だ。現在、人類学者は文化を本質化することを避ける傾向にあるが、私はこの「スクーター・スピリット」が、台湾の人々がどのように考え、感じ、行動するかを物語っていると考えるのが正確だと思う。

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スクーター(機車)が溢れる道路。台湾の日常の光景になっている

その前提にあるのは、私たちの主観の形成を考える上で、交通手段を軽視してはならないということだ。直感に反するように聞こえるかもしれないが、私たちが街をどのように移動するかは、私たち自身をどのように定義し、認識するかを形作る。東アジア研究を専門とする学者、ジェームス・A・フジイは、近代資本主義社会において東京の市民は人口過密な都市で暮らしているが、同時に人口過密な都市から疎外されたものとして形成される上で、都市近郊の鉄道が果たした役割について書いている。東京に住む外国人として、毎日1時間電車に乗ることは、確かに私に変化をもたらす。時間を守らなければならないというプレッシャー、見知らぬ人への無関心、個人的な空間への没入…電車が親密な疎外を象徴するならば、スクーターは何を象徴するのだろうか。

街のどこへでも自由に移動できるスクーターは、独立心と個人の主体性を象徴している。台湾の人々は大きなコミュニティよりも個人や家庭を優先する。その証拠に、台湾当局の統治機構としての市民への圧力は他の国や地域に比べ驚くほど小さい。2021年の台湾の税収の対GDP比は13.2%で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の同年平均は34.1%だ(台湾の所得税は高いと言われているが)。この数字からは、税金を納めるよりも、会社経営や取引、不動産投資をしたいという心理がうかがえる。当局の支出も同様に低い。2021年、台湾当局の支出はGDPの11.63%だったが、同じ年のOECD平均は46.3%だった。このような小さな行政機関の背景には、市民の側には地域社会に貢献したり、犠牲になったりすることへの消極性があり、当局の側には人々の生活に対する放任主義がある。

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