注目ポイント
台湾原住民(先住民)の伝統料理の食材としておなじみの小米(アワ)は、食材としての役割だけでなく、各部族の文化精神を象徴する重要な文化的意義を持つ。高雄市中心部から車で約2時間ほど走った山岳地帯、ルカイ族が多く暮らす屏東県霧台郷の吉露村では、台風被害で小米の原種が消失してしまったが、過去に日本人研究者による調査で種子が日本に持ち帰られていたことが明らかになり、日台の大学研究機関の協力のもと、このほど日本から半世紀ぶりに吉露村へ返還されることになった。
日本で保存されていた小米の種
2009年8月に発生したモーラコット台風は、台湾南部の山岳部を中心に記録的な集中豪雨をもたらし、未曾有の山崩れや土石流を発生させ、多くの人命を奪った。「八八水災(水害)」と称されるこの災害で被災した地域の中でも、居住し続けることが危険とみなされた地域は特定区域に指定され、復興に向けて別の地域に復興住宅(永久屋)が用意された。
屏東県霧台郷の吉露村も例外ではなく、大きな被害に見舞われた。人々は山岳地帯から平地に建設された長治百合村落への集団移転を余儀なくされ、それに伴い村で栽培されていた小米の原種も失われてしまった。小米の種を失うことは、吉露の人々のアイデンティティの消失や文化継承の断絶を意味する。
自然の猛威になすすべもない中、失われた小米の種子が吉露村に再び戻る日が、思いがけず訪れることになる。そのきっかけを作ったのは、高雄にある国立中山大学西湾学院院長の王宏仁教授、ルカイ族出身で社会学部の巴清雄助理教授を中心とする研究チームだ。
同大学では南島民族社会文化発展センター、ルカイ族知識研究センター、台湾教育部USR計画(大学社会責任プロジェクト)を通して、台湾南部の原住民の農業、環境、経済、文化などの学術研究や教育活動を行っている。今年5月、王教授らが霧台ルカイ族に関する文献調査をしていたところ、ある論文に目が留まった。
そこには、今から約50年前の1972年、民俗学者の佐々木高明氏(故人)ら3名の日本人研究者が吉露村落で農業調査を行い、その時に13種類の小米を日本に持ち帰ったということ、そしてその種は京都大学で保存されていることが記されていたのだ。
王教授らは京都大学農学部にメールを送り、この日本人研究者が持ち帰った品種が今も保存されているのかを問い合わせたところ、現在は農研機構遺伝資源研究センターに保存されていることが判明した。王教授は災害によって消失してしまった種を再び吉露の土地に戻すため、種の一部を分けてほしいと同センターに依頼。そして幾度かのメールのやり取りを経て、ついに7月末、13つの種子が日本から台湾へ届けられた。
吉露の土地で再び伝統文化を受け継ぐ
失われたはずの“村の象徴”が、50年前に吉露村を訪れた日本人によって海を渡り、今なお保存されていたこと、そして半世紀を経てふるさとの地に戻されたことは、吉露の人々に大きな驚きと感動をもたらした。
小米は栄養価、気候耐性の利点があり、食糧安全保障、気候変動などの課題に対応し得る穀物として近年注目されている。今年はちょうど国連の「国際雑穀年(International Year of Millets)」に当たることから、国立中山大学USR霧台プロジェクトが主催となり、小米の帰還と日台交流を祝う一連のセレモニーを行うことになった。