2023-09-10 観光

歴史の道を歩く― 台湾の古道を極めた 楊南郡と徐如林

注目ポイント

大航海時代から世界に知られてきた島--台湾は多様なエスニックを背景とし、豊かな物語に満ちている。前世紀の末から「台湾学」が盛んになり、多くの台湾人が研究を進めている。

二人は50年近く前に古道の踏査を始めた。幸い始めたのが早かったため、歴史的事件に関わった人々から話を聞くことができた。1976年、二人は碧華荘の女性オーナー、Obin Tadao(日本名は高山初子、漢名は高彩雲)を幾度も訪ねた。この人は霧社事件に関わった花岡二郎の妻で、ようやく霧社事件について語ってくれたそうだ。また台湾東部のブヌン族による抗日行動は18年も続き、その中で最も重要なのは「大分事件」である。現存する資料の多くは日本の公式文書だけで、原住民側の記憶は家族の間だけで伝えられてきた。楊南郡と徐如林は大分事件に関わった多くの人の遺族や子孫に話を聞いた。また、ブヌン族の抗日史上、重要な役割を担ったブヌン一の美女、華利斯(Valis)についても遺族から話が聞け、権力者側の解釈とは異なる真相が浮かび上がった。

楊南郡はまた、かつて鹿野忠雄とともに台湾高山のフィールドワークを行なった助手の托泰・布典(Totai Buten)と知り合い、台湾を愛した博物学者への認識を深めた。

このように事件に関わった人々の経験を語ってもらうことは時間との競争でもあった。「私たちが手にしたのは一次資料です。100パーセント正確とは言えないかもしれませんが、私たちは可能な限りを尽くし、史実に迫りました」と徐如林は誇らしそうに語る。

公的部門からの依頼

古道を歩いてきた夫妻は、大変だったが楽しかったと言う。二人が結婚して間もない頃、初めて錐麓古道を歩いた時にはスズメバチに襲われ、楊南郡はアナフィラキシーショックで生死の境をさまよったこともある。その時の調査の結果は出なかったが、古道からの風景は素晴らしく、再び訪れたいと思ったそうだ。また、ある会議で太魯閣国家公園の初代処長・徐国士と知り合い、国家公園内の古道について話したところ、徐国士は大いに興奮し「私たちに必要なのは、あなたたちです。どうか路線と道の状況を調査してください」と言われた。こうして公的部門からの依頼を受けることとなり、一年をかけて「太魯閣国家公園合歓越嶺古道調査報告」をまとめあげた。

これを提出した翌日、今度は玉山国家公園管理処長の葉世文から、清代の八通関古道の調査を依頼された。しかし、八通関古道に関する資料は非常に少なく、清朝の地図の地名はまるで『西遊記』の地名のように詩的なので無理だと断った。すると、その晩に葉世文が直接訪ねてきて、引き受けてくれるまで帰らないと言うので、無理でも引き受けざるを得なかったという。

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