2023-08-23 ライフ

日本とも台湾とも深い縁がある「バービー」―バービーランドはリアル社会の裏返し―

© Getty Images for Warner Bros.

注目ポイント

バービー人形は実は、日本とも台湾とも深い縁があります。台湾でも3~40年くらい前から裕福な家庭を中心に、バービー人形で遊ぶ子供が現れました。女性の社会進出が進んでいる台湾でこの映画は多くの支持を集め、観客動員数は順調に伸びています。完璧だったバービーが自分の異変に気付き、人間社会に飛び込んで完璧な自分を取り戻そうとするストーリーは現代の世相を反映し、見る人に一種の感動さえ与えます。映画の中に散りばめられた色々なパロディーを見つけることも楽しみのひとつです。筆者は昭和のおじさんですが、エンディングの場面でほんの少し泣きそうになりました。

台湾では公開と同時に話題沸騰、今年の夏休みに上陸した映画の中では、あの「ミッションインポッシブル」に迫るくらいの大人気となっています。

中国でも公開15日目で42億円、「ミッションインポッシブル」に迫る勢いです。

これは中国がいまだに家父長制度が色濃く残っており、それに対する反発と心地よいフェミニズムの反映ではないかと言われています

一方韓国にも、中国同様、家父長制度がいまだに健在ですが、7月19日の公開以来、動員数は46万人に過ぎません(比較参考:ミッションインポッシブルの動員数360万人)。家父長制度社会での女性の地位がこの国では支持されないことが、バービー人気に陰りがある原因だと思われます。

 

バービー(魚座)は台湾生まれ?

1959年3月9日、米玩具メーカーマテル社のルース・ハンドラー社長によって、大人の女性がモデルの着せ替え人形の発売が開始されました。バービー人形開発直後から日本での生産を決定、1959年から1970年代初頭まで、初期のバービーは日本で作られていました。‘62年からは日本でも販売開始、当初はあまり売れませんでしたが、‘64年の東京オリンピックを機に賃金水準アップ、そしてバービーの化粧、髪の色、衣服のデザインを日本人好みに変えて販売、さらに‘66年のビートルズ旋風に乗って売り上げは順調に伸びていきました。

1967年にタカラトミー社が「リカちゃん」を発売。その影響でバービーの日本での販売は大打撃を受け、日本市場から撤退しました。

と同時に、生産拠点を台湾に移転、1967年から1987年までの20年間、世界のバービーの約8割が台湾の新北市泰山地区にある美寧工場で作られるようになりました。

‘87年に閉鎖されたこの工場は、2004年に泰山人形産業文化館として生まれ変わり、今に至っています。ここには初期のバービー人形から小物、着せ替え衣装、民族服のバービー、エスニック服のバービーなど、多種多様なバービーを始め、欧州、米国、日本、ロシアなどその国を代表する人形なども展示されています。

このように、バービー人形は、実は日本とも台湾とも深いかかわりがあったのです。

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台湾原住民の衣装を着たバービー人形を展示する衣装工房=2010年3月5日、新北市・泰山区

© AFP via Getty Images

バービー工場がなくなったが、元従業員らは人形用の手作りコスチュームの衣装工房を開設した=2010年3月5日、新北市・泰山区


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