2023-08-13 ライフ

人と森とのハーモニー 植樹を夢みる者 宋文生

注目ポイント

屏東県霧台郷に住むルカイ族の宋文生は、若くして公務員の職を棄て、年長者に伴われて山林に分け入り、台湾固有種の樹木の植樹に携わる道を選んだ。過去40年間、植樹、伝統的な狩猟場・山林を保護整備することに一心不乱に力を注いできた。宋とその家族の私心を捨てた正義感に満ちた感動的な物語に触れる時、私たちは、自らが身をおく環境を大切にする気持ちを奮い立たせ、不毛の土地を緑化させることで、世界を動かすこともできるという信念を固くするだろう。

 

朝食屋が支える植樹の夢

宋文生は、36歳の時、都会から戻って朝食店を開いたドレセドレセと結婚した。しかし、宋は「無報酬」で植樹作業を続けたため、家族の経済は朝食店の収入に頼っていた。店の前庭では、一年に約800本の苗木が育てられる。ドレセドレセは「植樹は正しいことですから、私たちはそれを支援するのです」と語る、義父や長老たちが村にとって土地が如何に重要であるかを教えてくれたと言う。「私たちが(植樹を)しなければ、一体、誰がするのでしょうか?」

2009年の八八水害(モーラコット台風)が引き起こした地滑りにより、霧台郷の原住民8集落の内、阿礼(Adiri)、谷川(Kudrengere)、佳暮(Karamemedesane)、吉露(Kinulane)、好茶(Kucapungane)の5集落が移村し、神山(Kabalelradhane)、霧台(Wutai)、大武(Labuwan)の3部族だけが元の村に残った。この水害を契機にして、部族の中から、植樹によって山林を守ってきた宋文生を支援する人々が出始めて、次各山(cekesane)にある放置された遊休林の土地を宋家に植樹のために提供するようになった。

宋文生は、2代目「ランボルギーニ」(実は、貨物トラックである)を運転して、私たちを植樹した山林まで連れて行った。まず両親の家の裏庭の苗床を見せてくれた。樹齢50年のクスノキからはよい香りが漂い、木陰が苗を守っていた。宋文生は周囲を見渡しながら「ここが夢の国なのです」と一言いい、クスノキの苗木を持ち「これが夢の木であり、私たちは夢みる者なのです」と呟いた。

続いて、標高500メートルの第3種植樹区であるツングルガン(cungurugan)に入っていった。ここは、ドレセドレセの実家がローンで購入した山林地で、宋文生とドレセドレセの植樹のために引き渡された。山腹の入り口から遠くないところに、帆布で作った簡素な雨を遮るだけの小屋があった。ここは宋文生が休憩する場所である。小屋の横には水の入ったバケツがあり、宋はそれを山林に運び、若い木々に灌水するのである。

苗木は険しい山壁に植えられ、宋文生は丁寧に磨かれた鎌を手に、土台の間の草を刈り取った。最近、干ばつが続き雨が降らないため、植えたばかりの若木が悲鳴を上げているが、カイエンナッツは、まだ青々としている。宋文生は、観賞植物のカイエンナッツが持ち込まれて、山林のあちこちに植えられたが、この外来種が固有種を凌ぐ勢いで繁殖し、本来多様であるべき森林の様相が単一になりがちだと心配そうに語った。

林業経済が振興していた時期に、霧台の山から膨大な樹木が失われた。宋文生の父・宋文臣が先頭に立って、固有種の樹木の復元に取り組んだ。(ドレセドレセ提供)
⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい