注目ポイント
屏東県霧台郷に住むルカイ族の宋文生は、若くして公務員の職を棄て、年長者に伴われて山林に分け入り、台湾固有種の樹木の植樹に携わる道を選んだ。過去40年間、植樹、伝統的な狩猟場・山林を保護整備することに一心不乱に力を注いできた。宋とその家族の私心を捨てた正義感に満ちた感動的な物語に触れる時、私たちは、自らが身をおく環境を大切にする気持ちを奮い立たせ、不毛の土地を緑化させることで、世界を動かすこともできるという信念を固くするだろう。
霧台郷の「植樹する男」
神山部落の朝食店に宋文生を訪ねた際、妻ドレセドレセ・パチェンゲラウ(Dresedrese Pacengelaw)は、鍋やフライパンを洗っている最中で、宋の母(デヴァデヴァ・パランゲランゲDevadeva Palrangelrange)はテーブルを拭いているところだった。宋文生が店から出てきて、キッチンの入り口にある長テーブルに我々を招き入れてくれた。
山と村への思いについて語る時、宋は目の前の大きな山を見つめた。それは台湾百名山の一つ・大母母山系であり、ルカイ族の伝統的な狩猟地であった。重なりあう山並み、鬱蒼とする木々、土石が崩落した部分も目に入る。この山こそが、宋文生一家が生態系復元してきた場所である。
長い沈黙の後、穏やかな口調でこう言った。「私たちはここで何千何万年も暮らし、山や森とともに生きてきました」山がなければ水も森も野生動物も人間も存在しない。お互いが密接に結びついている。それはとても単純明快なことなのだ。「なぜ木を植えるのかと問われれば、私にはごく自然なことだとしかお答えできません。」
「土地は傷つき、木々は失われました。人間が土地を癒す方法は、木を植えるしか無いのです。」宋によれば、こうした考え方は、両親、祖父母、先祖代々から受け継がれたもので、彼らと森との相互関係のあり方なのである。
57歳の宋文生は、12歳のときに父宋文臣と一緒に大母母山系に入り、山林の分布、川の流れの方向、狩猟の仕方などから徐々に山林に精通していった。彼は高校生になるまで山から下りてくることはなかった。兵役を終えて、警察官と司法警察に合格したが、平地での生活に慣れず、最終的には村に戻ることを選んだ。

両親は初代植樹指導員
時は1980年代、林業経済か、緑豊かな山を保全するかをめぐって部族の中で対立が起きていた。宋文臣はそれまでの考え方を改め、パテセンガン(patesengane)に土地を購入し、植樹を始めた。宋文生は、苦学して森林保護管理員(山岳巡視員)の試験に合格し、最後は、両親と一緒に植樹するために故郷に戻る道を選択し、40年間志を貫いてきた。
「初代植樹指導員です」と、宋文生が母パランゲランゲを私たちに紹介すると、はにかんだ笑みが返ってきた。「宋さんの植樹の仕上がりはどうですか?」と尋ねると、パランゲランゲは「うまいです。真面目にやってます」と笑った。
宋文生は、自宅で様々な種類の苗木を育てる。年長者は標高500メートル、1000メートル、1500メートルそれぞれにどのような樹種が存在するかを細かく知っており、次の世代は、長老たちの記憶をもとに大地を復元して行くだけだと言う。宋自身が山で年長者の知恵を学び、樹木、草、つる等の様々な植物を部族の母語で何というかを知ったと言う。
