2023-08-10 経済

台湾・泰山、かつてはバービー生産地 世界の8割を製造 文化館で歴史を紹介

注目ポイント

台湾北部・新北市泰山の工場ではかつて全世界の8割のバービーが製造され、重要な生産基地となっていた。

民族衣装を身にまとう「泰山人形」

(新北中央社)世界で大ヒットを記録している映画「バービー」。実は台湾はバービーとつながりがある。北部・新北市泰山の工場ではかつて全世界の8割のバービーが製造され、重要な生産基地となっていた。泰山には「人形産業文化館」が設置され、工場の歴史や現地の産業の変遷を伝えている。

バービーが誕生したのは1959年。泰山区公所(役所)の資料によれば、米マテル社は67年以降、台湾のプラスチック企業、華夏集団のプラスチック原料供給の安定性に目をつけ、台北県泰山郷(現新北市泰山区)に合弁で「美寧工場」を設立した。当時、バービーの製造は材料の生産からパッケージングまで全て泰山で行われており、泰山の紡織製造と受託生産(OEM)業は最盛期を迎えた。

区公所によると、美寧工場は福利厚生や給与が良く、従業員は設立当初のわずか20人から、多い時では外部の工場も含めて8000人超にまで膨れ上がった。多くの従業員が17、18歳で入社し、87年に工場が閉鎖するまで勤務し続け、結婚や家の購入など人生の大イベントをこの地で経験した。

泰山郷長を務めた李国書氏は区公所の資料の中で、当時の泰山は農業社会から工業社会に転換したばかりで、多くの農業従事者が制服姿で出勤する美寧工場の従業員を羨望(せんぼう)のまなざしで見つめていたと振り返る。商売人らも工場の休日に合わせて休むなど、工場によってもたらされる商機に頼っていた。

工場では裁断や縫製、仕上げに最も多くの人手が必要だったことから、従業員のほとんどは女性だった。工場の外では「美寧のお嬢さん」を待つ男性の姿が多く見られ、「相手がいないなら、美寧に行けば見つかる」という言葉も流行した。

工場は87年に人的コストを背景に閉鎖され、後には「美寧街」と名付けられた短い通りのみが残された。

「泰山人形産業文化館」が立ち上げられたのは2004年。バービーや関連の資料が展示されている。養成講座のメンバーが作った先住民や閩南、清朝後宮などの衣装を着た「泰山人形」も飾られている。

文化館を8日に訪れた洪孟楷立法委員(国会議員)は、同館が来年で開館20周年を迎えることから、改築や展示の充実に向け、文化部(文化省)から予算を勝ち取りたい考えを示した。

(高華謙/編集:名切千絵)

 

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