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フランス政府は、祝日に当たる14日のフランス革命記念日を含む今週末の3日間、花火の販売や使用を禁止することを発表した。パリ郊外で先月下旬、17歳の少年が警察官に射殺された事件を発端にした暴動を受けた措置だ。フランスでは2005年にも同様の暴動が起きており、そこには共通の社会問題が存在した。
フランス政府は今週、17歳の少年が警察官に射殺された事件に端を発した暴動を受け、14日のフランス革命記念日から始まる週末の3日間、花火の販売、所持、輸送を禁止すると発表した。ただし、フランス革命記念日の祝典で伝統的な花火を企画する専門家や自治体には適用されないと付け加えた。
ボルヌ首相は先週末、仏紙パリジャンとのインタビューで、暴動の再発を懸念し、政府は「国民を守るため警備態勢を敷く」と明らかにした。
暴動のきっかけとなった事件が起きたのは6月27日。パリ郊外で交通検問中の警官2人が、停止命令を無視して車を発進させた少年へ、窓越しにいきなり発砲。17歳の移民系の少年が撃たれて死亡した。少年は無免許だったことから逃走を試みたとみられる。
だが、警官の発砲により少年が死亡したことで、当局に対する怒りの抗議がフランス全土に広まり、事件翌日に始まった暴動では、パリ郊外ライレローズの市長宅が7月2日未明に襲撃され、妻と子どもが負傷した。ボルヌ首相は声明で「容認できない行為だ」と強く非難した。
また、政府は6月30日夜に略奪や破壊行為など激しい暴動が起きた南部マルセイユやリヨンに警察官らを増派したが、マルセイユでは7月1日夜も中心部で警察官と暴徒の激しい衝突が起きた。パリでも目抜き通り、シャンゼリゼ通りにソーシャルメディアで暴徒の集結の呼びかけがあったとして警備が強化されたが、大きな混乱はなかった。
27日から続いた暴動では、これまで警察官4万5000人が動員され、未成年者1160人を含む3700人以上が拘束された。暴動では、一部の暴徒が市販の花火を警察に向けて発射するなど、多くの花火が使用されたことから、政府は今回の禁止措置に踏み切った。
では、〝内乱状態〟にまで発展した暴動の引き金になった少年射殺事件の背景にあったものは何だったのか。
フランスでは2005年、同じくパリ郊外で若者3人が、偶然出くわした警官2人に対して、自分たちを追っていると思い込み逃走。危険な変電施設へ逃げ込み、うち2人が感電死するという事故が起きた。少年らは犯罪に関与していなかったため、追いかけた警察官や当局に反発する若者らが、今回のように暴動を引き起こし、それがフランス全土に拡大した。政府は非常事態宣言を発令。当局は21日間にわたり、鎮圧に追われた。
今回との共通点は、05年の少年たちも、今回射殺された17歳の少年も、北アフリカ系移民の子供たちで、低所得者層が暮らすパリ郊外が舞台となったことだ。