2023-07-05 政治・国際

私も中国でスパイに疑われた!改正「反スパイ法」は果たして習近平政権の基盤を強化するか

© 天安門広場にある監視用カメラ=2019年9月、北京市内

注目ポイント

中国では今月1日、スパイ行為の対象を広げた改正「反スパイ法」が施行され、日本では中国と接点を持つ幅広い層に警戒感が広がっている。当局が恣意的な判断で「スパイ行為」を認定する恐れがあり、中国への旅行・出張をためらう声も聞こえる。経済成長よりも政治的安定を優先せざるを得ない習近平政権の特殊性を露呈した形といえそうだ。実際に中国で取材中、スパイ行為を疑われ、摘発されたことのある筆者が改正「反スパイ法」が何を中国にもたらすのかを考察してみた。

【西岡省二の羅針儀】

ホテルに閉じ込められて

筆者は2005~10年、2013~17年の計9年間、北京に駐在した。卑近な事例で恐縮だが、この時の取材活動で2度、当局に摘発されたことがある。

初回は2006年、中朝国境の遼寧省丹東で、北朝鮮・新義州(平安北道)の様子をカメラに収めようと、灯台のようなところに立ち入ろうとした時だった。

雑草の生えた空き地にその建物はポツンと立っていた。何の表示もない。受付も入り口もない。

人の気配がないことに違和感を覚えて、周囲を見回していると、ワゴン車が近づいてきて、そこから頑強な男性4~5人が降りてきた。ワゴン車に押し込まれ、中で旅券や記者証、所持品の検査を受けた。

丹東(中国遼寧省)から撮影した新義州(北朝鮮平安北道)の様子(写真右上)。中央にあるのは中朝を結ぶ鴨緑江大橋=2006年6月12日(筆者撮影)

そのままどこかの施設に連れて行かれた。「なぜここに入ってきたのか」と繰り返し尋ねられ、正直に「北朝鮮の様子を見たかったから」と答えた。取材メモや資料に記された一つ一つについて説明を求められ、すべてを写真に撮られた。

2~3時間後、その灯台近くの場所に戻され、そのまま立ち去るよう求められた。

2度目は2008年、四川省甘孜・チベット族自治州で起きた暴動の取材に向かう途中だった。省都・成都から小型バスで計18時間かけて現場に到着し、日本の旅券を提示した途端、数人の男性に囲まれ、現地のホテルに連れて行かれた。

この時も当局者は取材メモや所持品をすべて検査し、写真に収めていた。5~6時間の事情聴取の後、翌日までホテルの1室に閉じ込められた。ただ監視はつかず、携帯もパソコンも自由に使用できた。翌朝、当局の車で出発し、2日間かけて、成都中心部まで連れてこられた。

© AFP via Getty Images

チベット旗を掲げスローガンを叫ぶチベット仏教僧=2008年3月、甘粛省夏河市内

2度とも、胡錦濤前政権時代の出来事だ。前政権は習近平政権ほど、規制は厳しくなかった印象がある。

ただ、当時もスパイ行為には神経を尖らせていた。

他国の情報関係者に聞いた話によると、当局は、ターゲットとする人物の会話を、特殊な装置を使って100メートル以上も離れた場所から傍受していた。またターゲットを尾行する際、“とても監視要員とは思えない”ような、幼い子どもやお年寄りを含む20人程度のチームを組み、その周囲をウロウロさせていたという。

筆者に対しても、スパイ摘発を担う国家安全省の要員が「〇×日報記者」を名乗って近づき、情報収集をしていた。

© AFP via Getty Images

天安門広場で監視用カメラの前に立つ中国の警察官=2019年4月、北京市内

 

あいまいな「スパイ行為」の定義

中国共産党で習近平指導部が発足して2年後の2014年11月、当初の「反スパイ法」が施行され、その翌年以降、「スパイ行為に関わった」として日本人の拘束が相次いでいる。これまでに少なくとも17人がその対象となっている。

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