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1989年に中国の民主化を求めた人々らが武力弾圧された天安門事件から34年を迎えた6月4日、JR新宿駅南口(東京都新宿区)では犠牲者を追悼するイベントが開かれた。日本での集会はこれまで、事件当時の関係者が主導してきたが、今年は事件より後に生まれた中国人の若者が主催した。中国では天安門事件について語り継ぐことは許されず、その記憶は風化が進む。だが習近平指導部の強権的な統治に反発する若者たちの間で、30年余り前に政治改革を求め立ち上がった当時の学生たちへの共感が広がり始めている。
国家とかイデオロギーといった抽象的な概念より、人生をどう生きるべきかに関心があった。思想の傾向は人それぞれだが、若い知識人にとって中国の民主化は自明のものと考えられていた。
「習近平時代」が始まるまでは。

2012年に党トップの総書記に就任した習近平国家主席は、直後に、政権と距離を置く自由主義新聞として知られた「南方週末」を厳しい統制下に置いた。同紙を愛読していたむぎは大きなショックを受けた。
習指導部はその後も改革派知識人に圧力を加え、人権派の弁護士や活動家を排除。むぎは、民主化どころか毛沢東の個人独裁の時代に回帰するような動きに「度を超えた失望」を味わった。もはや中国にとどまる意味はない―。日本語を猛勉強し、2014年に京都の大学に留学。卒業後も中国には戻らず、東京でコンサルタントの仕事を続けた。
昨年11月に中国各地で人々が厳格な新型コロナウイルス対策に白い紙を掲げて抗議する「白紙運動」が起きると、むぎは、強権体制下で危険を冒しながら声を上げる祖国の若者たちに心を動かされた。
「僕は臆病で日本に逃げた。せめてここで(民主化の)種を蒔こう」。むぎは志を同じくする日本在住の中国人の若者と連携し、民主主義を浸透させるための緩やかなプラットフォームづくりを目指している。天安門事件の追悼集会もその活動の一環だ。
気付けば民主化を求めて北京の天安門広場に向かった1989年の若者と自身が重なっていた。事件はもはや「過去」ではなかった。
It’s my duty…これは私の義務です
新宿駅では、天安門事件の追悼集会に先立って、ロシアのウクライナ侵攻に抗議する集会が開かれていた。強権体制と対峙するという点では共闘関係にあるウクライナと中国の若者は互いに敬意を払い、日本人のような仕草でお辞儀をして集会をバトンタッチした。
追悼集会には目算で数百人が集まり、若い中国人の姿も目立った。この日、ロンドンやニューヨークで実施された天安門事件関連の集会にも、事件を直接知らない中国人の若者が多く参加した。
米国から東京の集会に駆け付けた、事件当時の学生リーダーの1人、周鋒鎖氏は「若者が精神的に1989年と同じ気持ちを持ち、中国の自由を求めている。これは非常に喜ぶべき状況だ」と歓迎した。
集会の運営に携わった中国人留学生の女性は、身元がばれないよう全身黒の装いで臨んだ。1990年代に福建省で生まれた彼女は中高生のとき、インターネットで天安門事件の詳細を知り、「え、やば」と思った。「学生を銃殺して開き直っている人たちが私たちの指導者なの」