注目ポイント
1989年に中国の民主化を求めた人々らが武力弾圧された天安門事件から34年を迎えた6月4日、JR新宿駅南口(東京都新宿区)では犠牲者を追悼するイベントが開かれた。日本での集会はこれまで、事件当時の関係者が主導してきたが、今年は事件より後に生まれた中国人の若者が主催した。中国では天安門事件について語り継ぐことは許されず、その記憶は風化が進む。だが習近平指導部の強権的な統治に反発する若者たちの間で、30年余り前に政治改革を求め立ち上がった当時の学生たちへの共感が広がり始めている。
その日、JR新宿駅南口はある若者たちにとって特別な場所となった。そこに立つことで、祖国を捨てることになるかもしれないためだ。
中国共産党・政府が民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件から34年を迎えた6月4日、東京の新宿駅前で犠牲者らを追悼する集会が開かれた。主催したのは事件より後に生まれた中国人の留学生や会社員ら。習近平指導部の抑圧的な統治下で将来に希望を見いだせない中国国内の人々に連帯を示した。
日本での集会はこれまで、事件当時の関係者が主導してきた。直接事件に関わっていない世代の中国出身者が主催するのは異例で、若者たちは帰国後に当局の圧力を受けるリスクを冒している。一体何が起きているのか。

祖国と「決別」の覚悟示した遊撃隊
6月4日午後3時ごろ、明治通り沿いの古ぼけたオフィスビルの会議室に、中国語を話す若者数十人がぞろぞろと集結した。
3時間後に迫った夜の追悼集会の主催者たちだ。「平反六四(天安門事件への評価を見直せ)」と記されたはちまきや、ヘルメット、メガフォンなどがてきぱきと運び込まれる。「中国共産党は金を巻き上げるために人々を拘束している」。中国国内ではきわどい政権批判の会話も飛び交っていた。一見すると、学園祭の準備をする大学生と大差ない。
だが仕切り役のチェン・ラウイ(24)が「今日はNHKなど日本メディアが取材に来る。顔を撮影されても構わない人は赤いはちまきを、そうでない人はマスクを着用してください」と呼びかけると、場がピリついた。
日本メディアに顔をさらせば、帰国時に投獄されたり、中国で暮らす親族が当局の圧力を受けたりする恐れがある。つまりマスクを着けずに参加することは祖国と決別する覚悟を意味し、チェンは自身も含む顔出し組を「遊撃隊(ゲリラ部隊)」と呼んだ。
追悼集会の中枢メンバーの「むぎ」(仮名)も遊撃隊の1人だ。

独裁、強権体制…「度を超えた失望」
むぎは天安門事件の数年後に、山東省で生まれた。事件についてはなんとなく聞かされていたが、全容を知ったのは高校生のときだった。
当時は2008年の北京夏季五輪が開かれたころで、中国共産党・政府は米欧を含む各国の「友人」を歓迎する姿勢を見せ、中国は世界の仲間入りを果たすとの自画像に熱狂していた。情報統制は敷かれていたものの、メディアや大学、私的な空間での自由な議論は一定程度容認されていた。
むぎは高校の哲学愛好家らとの雑談で、天安門事件の詳細を把握した。ただ中国は改革・開放以来の経済成長のまっただ中で、経済も政治も発展しているとの明るい見通しがあり、事件は「過去」にすぎなかった。