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2021-12-06 政治・国際

ニューオリンズのコーヒーブランドはどのようにベトナム コーヒーと結びついたのか?       ~黄褐色のコーヒー缶の秘密~

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注目ポイント

フランスからニューオリンズを経てベトナムまで、そしてナポレオン戦争から南北戦争を経てベトナム戦争まで、この歴史の流れが「カフェデュモンド」とベトナム系アメリカ人を繋いでいる。ベトナム系アメリカ人の若い世代が、改めて母国のコーヒーのルーツを探るが、「カフェデュモンド」のチコリコーヒーが、ベトナム系アメリカ人の文化の一部であることは、揺るぎのない事実である。

シアトルのワシントン大学付近にあるベトナムレストラン「Ba Bar」には、テーブルごとに「スリラッチャソース」と書かれた黄褐色の缶が置かれている。よく見るとニューオーリンズで有名なフランス式カフェ「カフェデュモンド」のチコリコーヒーの缶である。同店のベトナムコーヒーはチコリコーヒーの粉から作られ、アメリカの西海岸から東海岸にあるベトナムレストランで、黄褐色の缶をよく見かける。ニューオリンズのコーヒーブランドとベトナムコーヒーはどのような関係があるのだろうか。

 

コーヒー愛好家はアメリカのルイジアナ州ニューオーリンズに訪れた際は必ずカフェデュモンドに訪れる。この店は1862年、ニューオーリンズのフレンチマーケットにオープンして以来、チコリコーヒーと粉砂糖をまぶしたフランスデザート、ベニエが看板メニューとなった。1803年前ニューオーリンズはフランスの植民地であった為、フランス人がコーヒーにチコリを入れる飲み方がカフェデュモンドでも用いられた。フランス人がチコリコーヒーを飲む歴史は古く、19世紀初頭ナポレオンが起こしたナポレオン戦争まで遡る。ナポレオンは大陸封鎖令を出し、イギリスの経済制裁を狙った。逆にイギリスからコーヒー輸入が止まると、フランスのコーヒー愛好家はチコリの根を焙煎、粉砕、抽出したカフェインレスかつコーヒー風味の飲料を作った。終戦後、フランス人はチコリをコーヒーに混ぜて色も味もより濃いコーヒーを飲むようになった。

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ニューオーリンズでチコリコーヒーが飲まれるようになったのは何故か?1803年、フランスはナポレオン戦争で莫大な資金を費やした為フランス植民地のニューオーリンズを1500万ドルでアメリカ軍に売った。ニューオーリンズはフランス統治時代、ヨーロッパ大陸と最大の貿易拠点でありコーヒーは輸入の主要品目であることからアメリカ建国後、1840年にアメリカ第二のコーヒー輸入港となった。南北戦争中、当時北軍がニューオーリンズ港を封鎖し、繰り返されてきた歴史の中でコーヒーの輸入が減少した。その為、地元の人々はチコリを抽出したものを「代用コーヒー」として飲むようになり、それがフランス植民地の名残りとして残っている。これは偶然なことではない。ニューオーリンズの人々は皆チコリを抽出したコーヒーに牛乳を混ぜたコーヒー牛乳を知っている。このことは、歴史の中で重要な部分であり、現在、カフェデュモンドのチコリコーヒーの原料もフランスから輸入されている。

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