注目ポイント
自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線などに身を置きつつ、生前深い往来交があった筆者が、「老台北」の横顔を振り返る。
力が抜けるとはこのこと……。
「では先生のご機嫌を治すために、今度賄賂を持ってゆきます」
「どんな賄賂?」
「甘納豆を多めに持ってゆきます!」
「なら許す!」
後日私は多くの賄賂を持参し、台湾にて贈賄罪を犯すことになりました。

この食に関してたった1つだけ後悔があります。それは東京・上野の「うさぎや」のどら焼きです。ここのどら焼きは賞味期限が翌日までと時間がなく、先生に至っては当日中でないと美味しくない、と仰っていました。
ツアーでお客様とご一緒に訪台することが多かったため、スケジュール的に当日中にお渡しすることがなかなかできず、プライベートの訪台時にお渡ししよう、と考えていたのですが、その前に先生は観音様の元へ旅立たれてしまいました。
うさぎやのどら焼きを食べるたびに、先生のことを思い出し、後悔の念が去来します。(つづく)