2023-06-17 政治・国際

【老台北がいた頃】②「冗談とまじめの境い目」に仁とグルメといたずら心…「愛日家」のお茶目な横顔

© 台湾歌壇月例会で定位置に座る蔡焜燦さん=2014年4月、台北市内で(吉村剛史撮影)

注目ポイント

自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線などに身を置きつつ、生前深い往来交があった筆者が、「老台北」の横顔を振り返る。

「魷魚螺肉蒜」のときには「これはね、サザエの缶詰を使っているんだけど、まだ台湾が貧乏だったときに考えられたんだよ」など多岐にわたるものです。一方、国賓大飯店の蔡焜燦特別メニューの時にはまた毛色が変わります。メニュー名を見ると台湾に関連した名前がズラリと並びます。そして食事をしながら先生の台湾への思いを込めた名解説がはじまります。

焜燦さん(奥)と、そのスペシャルメニュー「蓬莱単品木瓜」に必要なブランデー。2つに割ったパパイヤにブランデーを注いで食す=2016年11月、台北市の国賓大飯店で(筆者撮影)

「『台北烤鴨』には台北のダックを使用していますので、いわゆる北京ダックではありません!」

「このお酒は“紹興酒”ではなく(南投県埔里鎮の)『埔里老酒』です!決して浙江省紹興で作られたお酒ではありません。台湾の埔里老酒は水が良いから、何も足さなくても非常に美味しく、またいくら飲んでも悪酔いしません!」という風に。

この名解説というか、さながら名演説を聞きながら、招かれた方々のお酒や食事はどんどん進んでゆきます。

きっと私の腹回りの何%かは蔡先生の責任であると、思いたい、いや思い込みたい…。

「台北烤鴨」を切り分けるシェフ。=2016年6月、台北市の国賓大飯店で(筆者撮影)

阿川弘之氏うならせたグルメ感度

蔡先生はホテルの食事だけでなく、市井の小さな食堂にも目を光らせていました。

エッセイストの阿川佐和子氏によると、蔡先生をガイドに、お父様の阿川弘之氏(1920~2015)と一緒に台湾を観光旅行した際、蔡先生は街道沿いの小さな食堂を唐突に食事場所に指定されたそうです。

阿川弘之氏は言わずと知れた高名な作家ですが、グルメとしても名高く、食に関する随筆でも知られています。その小さな食堂は、阿川氏をして充分に満足させる食事を提供したそうで、蔡先生のグルメセンサーは大したものだったようです。

もちろんそのセンサーは日本にも向いています。どこそこのアレは美味しい、と時折お話になっていましたが、よく覚えているのは、上野に本店がある「うさぎや」のどら焼きが非常に美味しいと仰っていました。

 

「うさぎや」のどら焼き持参する前に…

このように食に関して非常にこだわりが強く、お店まで指定している先生ですがあるものに関してはご指定がありませんでした。

それは「甘納豆」です。甘納豆が本当にお好きらしく、これに関してはどこでもいいよ、とご指定がありませんでしたので羽田空港でも売っている花園万頭の「ぬれ甘なつと」をよくお土産に持参したものです。

しかし甘納豆を持参したことで、先生より一度だけカミナリが落ちたことがあります。台湾から帰国した後、先生よりのお電話の第一声が「拓朗さん、どうしてくれるんだ!」とお怒りでした。訳を聞くと、

「拓朗さんが持ってきた甘納豆のせいで、おばあちゃん(奥様)と甘納豆の取り合いになって喧嘩になってしまった!どうしてくれる!?」

⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい