2023-06-17 政治・国際

【老台北がいた頃】②「冗談とまじめの境い目」に仁とグルメといたずら心…「愛日家」のお茶目な横顔

© 台湾歌壇月例会で定位置に座る蔡焜燦さん=2014年4月、台北市内で(吉村剛史撮影)

注目ポイント

自らを「愛日家」という造語で定義し、多くの日本人に、台湾の日本語世代の男性の典型として記憶された蔡焜燦氏(1927~2017)が他界してから7月17日で七回忌を迎える。日台交流の担い手が世代交代し、「老台北」の面影が薄れゆくなか、日台交流ツアーの最前線などに身を置きつつ、生前深い往来交があった筆者が、「老台北」の横顔を振り返る。

「日本李登輝友の会」で開催されているスタディツアー「日本李登輝学校台湾研修団」では、毎回先生に講師で出ていただきました。私はその当時、友の会事務所に勤め、このツアーの企画から同行・解説などをしていました(今は退所しています)。参加者の多くは「あの“老台北”にお土産を渡したい」と考えるため、結果的にお土産は山のようになります。一見して御老体がひとりで持つには大変な量です。

親切心で持とうとすると「年寄り扱いするのか!」とお怒りになります。1927年生まれで80歳以上の方は、十分にお年寄りだと思うのですが…。

私を含め、親切心で声をかけた人間がつぎつぎと怒られてきました。荷物を触ることがゆるされるのは、私の知る限り二人だけ。

ある時また大量のお土産ができたので、持とうとすると例により「年寄り扱いするのか!」とお怒りになりましたので、先生に笑顔で「私は先生専門の苦力(クーリー)ですよ。それでしたら問題ないですよね」とお伝えしたところ「なら許す!」とすぐにご快諾。この出来事以降は怒られることなく荷物を持つことを許され、先生専門の苦力へとめでたく出世?することになりました。

このように、そのお人柄は一風変わった、一種のクセの強さのようなものがありましたが、しかし、それも含めて先生と過ごす時間には非常に楽しいものがありました。

 

さながら名演説だった美食解説

そして蔡焜燦先生といえば、美食家という一面もお持ちでした。

台湾というところは、そもそも食に対して強い関心がある土地柄です。

「蔡家の台所」こと国賓大飯店の蔡焜燦さんスペシャルメニュー。台湾にちなんだ料理名がずらり=2016年11月、台北市の国賓大飯店で(筆者撮影)

台湾語(台湾ホーロー語)での挨拶、「呷飽没?」(チャパーボエ)とは「ご飯は食べましたか?」という意味だったり、「呷飯皇帝大」(食事の地位は皇帝のように高い)ということわざがあったりするくらいです。

そんな美食天国・台湾でも、先生は抜きんでた美食家を自負し、やはりグルメで有名な作家、邱永漢氏(1924~2012)から「蔡さん、あんたはグルメなんだから、その方面で本を書いたらどうだ」と言われるくらいだったそうです。(この話は邱永漢氏の死去後に耳にしました)

そんなグルメな先生が食事で歓待する際、「蔡家の台所」として利用していたのが「兄弟大飯店」と「国賓大飯店」です。「兄弟大飯店」では「魷魚螺肉蒜」(スルメイカとサザエ・葉ニンニクのスープ)をはじめとする台湾料理をご馳走してくださり、国賓大飯店では蔡焜燦特別メニューをご馳走してくださります。しかもグルメな先生の名解説もあわせて聞けます。

⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい