2023-06-07 政治・国際

知られざる「台北大空襲」:米軍はなぜ台湾に無差別爆撃を行ったのか?

© Photo Credit: AP/達志影像

注目ポイント

今年2月、台湾のゲーム会社が「台北大空襲」というタイトルのPC(STEAM)用ゲームソフトをリリースした。清子という日本名の少女を主人公に、第二次世界大戦末期、“たいほく”と呼ばれていた日本統治下の台北を襲った大空襲を追体験するアドベンチャーゲームは、同社が17年に発売して台湾で話題を呼んだ同名のボードゲームが原作だ。二つのゲームがテーマにしている台北大空襲は、戦争を知る世代を除けば、その惨事自体が人々のあいだで忘れられつつあるという。知られざる台北大空襲に至る経緯、そして台湾の被害について、2017年4月6日公開の「The News Lens」の記事を翻訳して紹介する。

翻訳者:椙田雅美

台北大空襲は、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)5月31日、日本統治下の台湾台北市に対し、連合国軍が行った大規模な無差別爆撃である。

台湾のゲーム開発会社迷走工作坊(Mizoroit Creative Company LTD)は、当時の台湾の人々が生死の危機に瀕したこの歴史的事件を追体験する、その名も「台北大空襲」と題したゲームを発表した。

台湾への空襲は1944年末から始まり、以後終戦となる1945年までに、台北のみならず北部から南部までほぼ全土が攻撃され、甚大な被害を及ぼした。

しかし第二次世界大戦では中華民国と米国は同盟を結び日本と戦った。戦後台湾に逃れた国民党政権は「抗日史観」の姿勢によって、学校の歴史教育で空襲について言及しなくなった、そのため多くの台湾の人々はこの史実を学ぶ機会がなく、空襲を行った国についてさえ知らない人がいるという。

迷走工作坊は、台北市の繁華街である西門町で、約40人に街頭インタビューを行ったが、そのうち台北大空襲について聞いたことがあると答えたのはわずか2名であった。

 

戦略爆撃とは?

台北大空襲発生の背景には、第二2次世界大戦の末期、米軍が日本に対して行った「戦略爆撃」がある。当時日本の統治下にあり、日本の南進政策の拠点である台湾も当然爆撃の標的になった。航空機による爆撃は、第一次世界大戦末期に出現した新しい戦法であり、

「戦略爆撃」という概念は第一次世界対戦終結後に発展したが、具体的な方法、戦術、効果については第二次世界大戦中の実戦の中で模索している状態だった。

 

日本への戦略爆撃

第二次世界対戦初期、日本は太平洋の制空権及び制海権を掌握し、台湾はフィリピンや中国に向けた航空戦力の要所であった。米軍は航空母艦を使用した1942年4月18日のドーリットル空襲を端緒に東京始め日本全土への爆撃を開始したが、台湾中正大学の張建俅副教授の著書『第二次世界大戦における台湾の戦争被害の研究』によれば、1938年2月の23から24日にかけ、ソ連が中国に派遣していた空軍志願隊が中国の南昌、漢口の基地からツポレフSB型爆撃機で飛び立ち、台北の松山空港と周辺を爆撃しており、台湾にとってこれが初めての空襲であった。

台北の松山を爆撃するソ連志願隊とツポレフSB型爆撃機

当時は制空権が日本に在り、ソ連にとってこの爆撃は大きな戦果をもたらすものではなかった。その後太平洋戦線で米軍が反攻に転じ、1944年7月にはマリアナ諸島、10月にはフィリピンのレイテ島で日本軍を陥落させる。長距離爆撃の拠点を獲得した米軍は、日本本土及び台湾への空襲を本格化した。

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