注目ポイント
1982年、マレーシアのマハティール首相が提言した「ルックイースト政策」と時を同じくして、日本の経営モデルや働き方の導入、および日本企業からのマレーシアへの投資が促進され、マレーシア国民の資質と製品の品質が改善された。マハティール首相は「日本に留学生を派遣する」、「産業提携を促進する」という2つの方法でこの政策を展開した。「ルックイースト政策」は37年間に及んだが、得るものもあれば失うものもあった。
日産自動車は80年代までマレーシアでもっとも販売台数が多いブランドであった。マレー民族主義から始まり、マハティール首相が推進した「国産車プログラム」は、マレー人が自動車産業に投資できるようにし、華人が主導する自動車分野を共有することが目的であった。
このことから、「ルックイースト政策」の本質は、マレーシア国民(特にマレー人)が日本人から学び、向上のために努力し、民族のために奮闘するという集産主義を奨励することであることがわかる。残念ながらその政策は、マレーシアのマクロ経済における限界(内需、市場、技術レベルなど)を考慮しておらず、民族精神の「改革」は一朝一夕には達成できなかった。「ルックイースト政策」における人種主義の傾向(意図的に華人を排除する)もまた失敗の原因となった。
国民の自発的な「ルックイースト」が行われれば、もはや政府による主導は必要ない。2018年5月、マハティール氏が首相に再選した時、「ルックイースト政策2.0」を打ち出すという公約が掲げられた。その未来がどうなるかは、言うまでもないだろう。
原文作者 / 責任編集者: 彭成毅
原文校閲者: 楊之瑜
翻訳者: TNL JP編集部
校閱者: TNL JP編集部