2021-11-30 政治・国際

日本を師と仰ぐマレーシアの「ルックイースト(東から学ぶ)政策」はなぜ失敗したのか ?

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注目ポイント

1982年、マレーシアのマハティール首相が提言した「ルックイースト政策」と時を同じくして、日本の経営モデルや働き方の導入、および日本企業からのマレーシアへの投資が促進され、マレーシア国民の資質と製品の品質が改善された。マハティール首相は「日本に留学生を派遣する」、「産業提携を促進する」という2つの方法でこの政策を展開した。「ルックイースト政策」は37年間に及んだが、得るものもあれば失うものもあった。

 

その結果、プロトンと三菱の提携は断片的となり、その間イギリスのロータス、フランスのシトロエン、ルノーなどの大手メーカーと提携したものの、技術や品質が大幅に向上することはなかった。逆にプロドゥアは、ダイハツの自動車技術を直接使用したリバッジモデル(rebadged)の国産車でありながら、市場シェアがプロトンを上回った(2018年5月までの年間総販売台数は97,487台で後者の20,933台を上回っている)。

 

当時「ルックイースト政策」を提唱したマハティール首相の目的は、教育と産業提携によるマレーシア国民の労働リテラシーと技術レベルの向上であった。しかし、マハティール首相の「掌中の珠」であったプロトンは、49.9%の株式を中国の吉利汽車に売却するという窮地に陥り、日本とマレーシア両国の民間、商業レベルにおける取り引きや学術交流は今もなお活発ではあるものの、政府レベルにおける「ルックイースト政策」は失敗だったことが示されている。

 

政府の失敗には2つの原因がある。1つ目は、プロトンの国産車という幼稚産業(infant industry)を守るために巨額の補助金、低利融資制度、関税障壁設定を実施したことである。マレーシア自動車協会のデータによると、輸入車はASEAN(東南アジア諸国連合)の共通有効特恵関税(CEPT)において輸入関税が免除されるが、最恵国待遇(MFN、Most Favored Nation)では依然として30%の輸入税が適用される。さらに、輸入車には75%~105%の内国税が課せられる。

 

外国車の価格は高騰しているものの、プロトンがこれまでに次々と起こした機械の故障がイメージの悪化を招き、人々が外国車を選ぶという傾向に歯止めがかからなくなっている。また、国内の内需と市場は小さく、市場シェアもプロドゥアに奪われているため、輸出時には各大手メーカーとの競争に直面することになる。プロトンは対内、対外ともに行き詰まり、もはや1980~90年代の栄光を取り戻すことはできなくなっている。

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2つ目は、マハティール首相が「ルックイースト政策」によりマレー人の雇用機会を増やそうとしていたという点である。国内の自動車産業が発展する前、マレーシア国内の自動車市場の多くは華人により経営されていた。言い換えるならば、華人こそが民間における「ルックイースト政策」の先駆者であった。1957年に陳昌自動車(Tan Chong Motors)を設立した陳兄弟は、すでに日産自動車(Nissan、旧Datsun-ダットサン)の代理権を取得していた。

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