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ニクソン米政権下で、ベトナム和平に努めたヘンリー・キッシンジャー元国務長官が27日、100歳の誕生日を迎えた。大統領の密使として極秘訪中し、米中国交正常化に道筋を付けるなど功績を残す一方、ベトナム戦争期にカンボジアで市民を巻き添えにした爆撃を強行したことなどへの批判も多い。そんなキッシンジャー氏の〝上流社会を愛し、愛された素顔〟を英紙ガーディアンが紹介した。
英紙ガーディアンは、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官が何十年もにわたり、政界やメディアなどあらゆる方面から賞賛されてきたが、多くの評論家らはここにきて同氏が残してきた〝負の遺産〟に言及している。
米CBSでカンボジア爆撃の犯罪性について見解を問われたキッシンジャー氏は、半世紀以上前の出来事だと強調した上で、「必要な措置だった」と弁明。ニクソン政権は北ベトナム側の兵員・物資輸送路の寸断などを狙ってカンボジアを広範囲にわたって空爆し、1969~73年に約15万人もの市民が犠牲になったとされる。
73年には北・南ベトナム、南ベトナム共和国臨時革命政府、米国との間でパリ協定が調印され、ベトナム戦争終結への道筋をつけることになった流れを促進した功績で、米交渉団代表だったキッシンジャー氏はノーベル平和賞を受賞した。
「ニクソン政権のセックスシンボル」
キッシンジャー氏は、10代でナチスドイツの迫害から逃れ米国に逃れたユダヤ人移民だった。ガ―ディアン紙は、「地球上で最大級の力を持つ地位を前例の無い形で手に入れた。ニクソン、フォード両政権(1969~77年)で、国家安全保障問題担当補佐官や国務長官を務め、奇妙なことに〝ある種のポップアイコン〟になった」と伝えた。
同紙によると、キッシンジャー氏は当時、「ニクソン政権のセックスシンボル」とも呼ばれた。69年のある日、キッシンジャー氏は「極秘」と書かれた封筒を小脇に挟み、ワシントンの社交界の有名人が集まるパーティーに出席した。パーティーではゲストたちが好奇心を抑えることができず封筒の中身について尋ねると、キッシンジャー氏は冗談で最新の米男性誌「プレイボーイ」だと返した。(同誌の発刊者ヒュー・ヘフナー氏はこの話を面白がり、その後、国家安全保障担当補佐官が無料購読できるようにしたという逸話もある)
「実際に封筒に入っていたのは、反戦リベラル派の道徳的退廃と自身のひるむことのない現実政治との間に明確な一線を画すことを目的とした、悪名高いニクソン大統領の『サイレントマジョリティー』演説の草稿だった」という。ガーディアン紙によると、ベトナム戦争中の70年代にはラオスとカンボジアへの空爆のほかにも、キッシンジャー氏は東ティモールと東パキスタンでの大量虐殺につながる政策をも首謀したという。
一方、社交界では「西側のプレイボーイ」として知られた。写真を撮られるのを好み、ゴシップ紙の常連で、時に有名女性との不倫関係が発覚した。例えば、映画「007ダイヤモンドは永遠に」のボンドガール、米女優ジル・セント・ジョンと、ある夜遅く、彼女のハリウッドの邸宅のプールでアバンチュールを楽しんだ後、うっかり警報機を鳴らしてしまい騒動を引き起きた。(その際、キッシンジャー氏は「彼女にチェスを教えていた」と釈明した)