注目ポイント
馳星周の原作小説にもとづいて映画化された金城武主演の映画『不夜城』(李志毅監督、1998年、日本)は、新宿・歌舞伎町を舞台に、台湾人や中国人らが織りなす裏社会を生きる日本人と台湾人のハーフの男「健一」の、生き残りをかけた駆け引きや残留孤児二世の謎の女との悲恋が感動を誘った。映画公開から四半世紀が過ぎたいま、舞台となった歌舞伎町の風景はどのように変化し、あるいはどのように原型を保っているのだろうか。
生まれ変わる街、残る面影
現在の歌舞伎町の光景は、映画の中で描かれたそれとは大きく異なるようだ。
かつての、猥雑でどこかあやしげな雰囲気は薄れ、最近のイメージはコマ劇場跡地にオープンした実物大ゴジラが目をひく「新宿東宝ビル」や、「東急歌舞伎町タワー」に象徴されるように、再開発によって夜の闇もぬぐい去る劇場、シネコン、ホテル、飲食、ショッピング施設がキラキラとかつ整然と集まった、どこか近未来的で、家族連れの外国人観光客にも魅力的な「映える」エリアへと変貌している。
もちろん歓楽街として長い歴史があるだけに、一歩路地裏へ入れば、ホストクラブやキャバクラなどの看板も眩しく並び、「高収入」をうたい文句にして派手なPRを展開する求人広告車が行き交う、この町のもう一つの顔の痕跡もしっかりと確認できる。
新宿5丁目にある鳥居の木陰を抜けると、丹塗り柱がまばゆい花園神社が見えてきた。
この社は闇市時代からの歴史に彩られた「新宿ゴールデン街」への目印でもある。倉稲魂命・日本武尊・受持神の3柱の神を祀る花園神社の隣に視線を移すと、人目をひくビル建設現場があった。これが今回の物語の出発点だ。


「中華料理」発祥の地と「台湾幇」
工事中の建物の所有者は台湾出身の華僑、李合珠氏。李合珠氏は台湾の客家人であり、台湾が日本の領土だった1940(昭和15)年に来日し、早稲田大学理工学部を卒業後、中央大学経済学部に留学した。留学資金は郷里の村人らからかき集めたという。
郷党の期待を一身に背負った李合珠は、日本でごく普通の会社員などとして個人の栄達を追及する立場にはなく、またその気にもなれなかったのだろう。日本の敗戦という混乱期に遭遇したこともあり、終戦直後の1946(昭和21)年に池袋で商売を始めた。
新橋と有楽町でショーパブを開業し、新宿にも支店をオープンした。その後1960(昭和35)年には事業を拡大し、当時日本最大の中華料理店「東京大飯店」を靖国通りにオープンした。ここは広東料理をはじめ、北京(北平)、上海、四川など中国各地の料理を一堂に集めて提供したことで知られ、こんにち日本人がイメージする「中華料理」(汎中国料理)の発信源となった。
さて、花園神社の西側、歌舞伎町一丁目には2~3階建ての飲食店建物が軒を並べる路地がある。どこか戦後混乱期の雰囲気も残す「新宿ゴールデン街」だ。夕暮れ時なら酔客にまじって歩を進めよう。そこには昭和のままで時間が止まったかのような古い看板が並ぶかと思えば、近未来的モダンさを漂わせたしつらえの店も入りまじり、見ようによっては古典的SF映画「ブレードランナー」(リドリ―・スコット監督、1982年、米・英領香港)さながらの独特な雰囲気が漂う。いまや観光客が映画のような世界観の写真を求めて冷やかしに訪れる「映える写真の聖地」でもある。