2023-05-21 台湾

台湾生まれの日本人男性 引き揚げ後初めて母校・麻豆小学校跡地を訪問

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戦後日本に引き揚げた「湾生」の日本人男性が、台湾で生まれた後初めて母校である麻豆尋常高等小学校の跡地を訪れた。新元久さんは今年92歳で、台湾総督府鉄道部長だった祖父と、明治製糖の本社で働いていたサトウキビ栽培の専門家として知られる父親を持つ。麻豆で生まれ、麻豆小学校では3年生まで過ごし、クラスには日本人5人と台湾人5人がいたという。現在は麻豆中学校になっているが、当時の校訓が書かれた扁額が保存されており、新元さんを喜ばせた。また、新元さんの入学式当日に撮影された写真が昨年出版された本に掲載されていた。新元さんの祖父は、当時皇太子だった昭和天皇による台湾行啓にも付き添ったとされる。新元さんは訪台中、台湾鉄路管理局に保存されている皇室用客車も見学したという。

台湾生まれの日本人男性 引き揚げ後初めて母校・麻豆小学校跡地を訪問(麻豆中学校提供)

(台南中央社)日本統治時代の台湾で生まれ、戦後日本に引き揚げた「湾生」の日本人男性が15日、母校の南部・台南市麻豆尋常高等小学校の跡地を訪問した。

同地を訪問したのは、今年92歳になる新元久さん。台南市政府が18日に発表した報道資料によると、台湾総督府鉄道部長だった新元鹿之助を祖父に、サトウキビ栽培の専門家として明治製糖の本社で働いていた新元八通雄を父親に持つ。麻豆で生まれ、麻豆小学校では3年生まで過ごした。

新元さんはこれまでに複数回台湾を訪れていたが、同地を訪れるのは初めて。当時クラスには日本人5人と台湾人5人の児童がいたという。現在は麻豆中学校となったが、資料室には当時の校訓が書かれた扁額が保存されており、新元さんを喜ばせた。

また昨年出版された本には、新元さんの入学式当日に撮影されたとみられる写真が掲載されていた。中には新元さんの母親の姿もあった。

麻豆中学校提供
麻豆中学校提供

鹿之助は1923(大正12)年、当時皇太子だった昭和天皇による台湾行啓(ぎょうけい)にも付き添ったとされる。日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会によれば、新元さんは今回の訪台で台湾鉄路管理局に保存されている皇室用客車も見学したという。

(張栄祥/編集:齊藤啓介)

 

 

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