注目ポイント
危機時に国際投資家が好んで買うのがスイスフランだ。安全通貨としての評判は、自国の輸出経済よりも通貨の安定を優先するスイスの政策によって築かれた。

米ドルに関するヒップホップの歌なら、数えきれないほどある。だが2008年の世界金融危機以来、フランもたびたび歌詞に登場するようになった。――コカイン、シャンパン、ベンツの最高級車マイバッハと並ぶ富の象徴として。
R&Bシンガー・ソングライターのライアン・レスリーさんは2012年に「Swiss Francs(仮訳:スイスフラン)」で、丸ごと1曲をこの通貨に捧げた。曲のプロモーションビデオでは、華やかな管楽器の伴奏と軽快なビートに乗せ、ポルシェでチューリヒの湖畔を走る姿が描かれる。そしてグロスミュンスター(大聖堂)をバックにスイスの銀行に眠るフランのラップソングを歌いあげる。これはレスリーさんが思い描く成功の縮図そのものだ。
フランがここまで華々しくポップカルチャーに登場するのは珍しい。だが、通貨としてのフランの経緯は目を見張るものがある。1914年当時、1ドルは5フラン以上したが、現在は1フラン弱。1ポンドも25フランだったが、今では1.10フランだ。昨年から今年のインフレにもかかわらず、フランは他の多くの通貨と比べ堅調に推移している。
安定した通貨を求める「聖戦」
フランが過大評価される歴史は古い。1848年の導入直後は、硬貨の額面よりも原料の銀の方が高価だったため、溶かされることもよくあった。長らく通貨としてはあまり役に立たず、父・フランスフランから派生した、パッとしないおまけに過ぎなかった。
スイス国立銀行(中央銀行、SNB)の書庫を担当する歴史学者パトリック・ハルプアイゼン氏は、「1880~90年代はスイスに一貫した金融政策がなく、フランは常にやや弱い傾向にあった」と言う。
この一貫した金融政策を1907年に導入したのがSNBだ。以来、同行が造幣の増減を管理し、その決断がフランの動きを大きく左右してきた。
SNB設立当初は、国際金本位制が厳格に遵守されていた。つまり発行される紙幣の価値は、SNBの金庫に保管されている一定量の金の価値と常に等価関係にある必要があった。
スイスが第1次世界大戦を免れた結果、それまで影の存在だったフランがハードカレンシー(安定的で信用性が高く、国際市場で他国通貨と自由に交換可能な通貨)の仲間入りする最初の土台が築かれた。そして安全通貨として、資産の逃避先としての地位を確立していった。

1929年に株が大暴落すると、世界中の通貨が一夜にしてその価値を失った。まだ金本位制が実施されていたスイスでは、フランが比較的安定していた一方で、輸出経済が苦境に追い込まれた。