2023-05-11 政治・国際

軍需品貿易 ビジネスモデルとしてのスイスの中立

注目ポイント

スイスの軍需産業にとって中立とは、全ての国にできる限り等しく軍需品を供給することを意味した。あるいは稀有な例ではあるが、ファシスト独裁政権の逆鱗に触れないよう全く売らないこともあった。

スイス企業の軍需品取引に対し、繰り返しイニシアチブ(国民発議)が立ち上げられてきた。2009年のイニシアチブ「軍需品の輸出禁止に賛成を」のポスター Keystone / Arno Balzarini

近代が始まった頃、スイスの傭兵は敵兵の腹の脂肪で靴を磨いているという噂が欧州中に広まった。欧州のあらゆる戦場や植民地に出稼ぎして戦ったアルプスの強者達は計150万人に上った。今日のスイスは傭兵ではなく、軍需品を輸出している。

国際軍需品貿易にスイスが占める割合は小さい。2018年~2022年の市場シェアは0.7%だった。一方、米国は40%、ロシアは16%、中国は5%だ。スイスの総輸出量に占める軍需品の割合も0.5%未満にとどまる。

だが、いかなる戦争行為にも関わる意思のない中立国が戦争で儲けるなんて偽善だと、なにかにつけて非難される。言うまでもなく中立は17世紀の時点で既に、全ての戦争当事者に傭兵や軍需物資を供給するための中心的な論拠となっていた。1918年以降も、中立は当時発展しつつあったスイスの軍需産業による輸出を支援する手段であり、輸出を妨げたりはしなかった。

1907年のハーグ条約では中立を保護する2つの条項が定められ、国家が製造した軍需品の輸出を禁じた。だが民間の軍需産業には平等に輸出することを義務づけただけだった。

「一方で人を殺し、他方で看護もする」ジュネーブの風刺雑誌「L'Arbalète」(1916年) DR

スイスは現在もこの条項を適用しており、ロシアへの供給が禁じられれば、ウクライナに対しても同様の対応をしなければならない。

中立は第一次世界大戦後に敗戦国との関係にも影響を及ぼした。ベルサイユ講和条約がドイツとオーストリアに一切の兵器生産を禁じたため、この2カ国は軍事技術のノウハウを中立の外国に移転した。

歴史学者でスイスの軍需産業史に詳しいペーター・フーグ氏によると、これがきっかけでスイスの軍需産業が本格的に興隆した。

連邦政府が軍需品輸出の監視を義務付けられたのは1938年になってからだ。しかもそれはイニシアチブ(国民発議)の圧力によるものだった。だがフーグ氏によるとその運用は緩いどころの話ではない。「軍事省は認可条件さえ満たしていれば監視する気などさらさらなかった」

第二次世界大戦中、スイスは100億フラン相当の武器、弾薬を輸出。これは1941年の総輸出量の14%超を占めた。第二次世界大戦独立専門家委員会による調査でフーグ氏は、そのうちの84%がドイツとその同盟国に供給され、連合国や中立国に輸出されたのはそれぞれ8%にすぎなかったことを突き止めた。

戦略的により重要だったのは、兵器製造や軍隊支援に使う精密器具やボール・ベアリング、工作機械などの軍用品輸出だった。その多くを手に入れたのもドイツだ。

⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい