注目ポイント
現役早大生グラビアアイドルとしてデビューし、活動の舞台を台湾にもひろげた峯岸ちひろさんが、このほど現住人口約1500人という福島県相馬郡飯舘村に移住を決行。東日本大震災被災地と台湾を結び付ける実業家兼タレントとしての活動に乗り出した。無事、福島の産品を台湾へ発信できるのか。細腕チャレンジにいたる経緯を紹介します。
小さな美しい村に飛び込みました!
読者のみなさん、はじめまして!横浜出身の峯岸ちひろと申します。

早稲田大学在学中にグラビアアイドルとして活動をはじめ、その後は学業を一時中断して台湾にも活動の場を広げました。帰国後は福島県に移住し、いまは地域振興ともに台湾との交流を推進する新米実業家兼タレントとして頑張っています。(動画も発信していますよ♪)唐突ですが、みなさんは福島県相馬郡の、いわゆる福島県浜通りに位置する自然豊かな村、飯舘村(いいたてむら)をご存知ですか。実はこの村こそ、私がこのほど飛び込んだ「新天地」なのです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災まで、この村には約5000人が住んでいました(今年2月28日時点の住民基本台帳上では4781人)。しかし震災によって県外、県内避難された方が多く、現住人口は約1500人とされます。
人口こそ少ないけれどこの村は、NPO法人「日本で最も美しい村」連合により、文字通り「日本で最も美しい村」の1つに選出されています。この写真をご覧ください!

ちなみに同法人はフランスの素朴で美しい村を厳選して紹介する「フランスの最も美しい村」連合の活動を範とし、失ったら二度と取り戻せない日本の農村漁村の景観・文化を守りつつ自立を目指す地方自治体や地域の連合体で、美しい村づくり以外にもイベント開催、広報活動などを行っています。
きっかけは「福島前進団」との出会い
さてさて、時を少しだけ戻しましょう。
私が学業を中断し、約5年におよぶ台湾での活動から帰国した後の2021年秋、折しも早稲田大学の復学制度を利用して、30歳の大学生生活を謳歌していたのですが、ちょっとしたご縁があって、東京を拠点にした民間の日台交流団体「東京台湾の会」で事務局長を務める在日台湾人、簡憲幸さんに誘われ、授業のない日程を利用して初めて福島県に向かいました。
簡さんもかかわるNPO法人「元気になろう福島」(本田紀生代表)などが、日本在住の台湾の若者らで構成された「福島前進団」を、震災被害が甚大だった福島県浜通りの7市町村などに送り込み、現地を巡ってもらったり、滞在してもらったりした感動や感想などを、彼ら自身の手でSNSや動画投稿サイトを通じ、台湾に広く伝えてもらう、という福島復興企画(経産省後援)を実施している最中だったのです。
震災直後、台湾から世界最高額とされた200億円以上もの義援金が被災地に寄せられ、被災者だけでなく多くの日本人を感動させたことで、日台間の友情は深化したことはみなさまもよくご存知かもしれませんが、その一方、小さからぬ禍根も残っていました。