注目ポイント
昭和天皇が皇太子の時、一度だけ台湾に来たことがあります。皇族として初めて台湾の地を踏みました。12日間のご訪問でしたが、記念碑や写真などがいまでも台湾各地に残されています。今年の4月は皇太子裕仁(ひろひと)親王が台湾を行幸されてからちょうど100年目にあたります。花博公園、圓山飯店、一女中、北投温泉など裕仁親王の足跡をたどってみましょう。
皇太子裕仁親王の台湾行幸まで
今からちょうど100年前の1923年4月、皇族として初めて台湾を訪れたのは昭和天皇でした。でも、「日本の天皇は台湾に来たことがありますか?」という問いの答えはノーです。昭和天皇の台湾行幸は1923年(大正12年)で、その時はまだ天皇ではありませんでした。大正天皇の崩御に伴い皇位継承、第124代天皇として践祚したのは1926年(大正15年/昭和元年)12月25日です。ですから来台時、裕仁親王は皇太子でした。
ではどうして皇太子が台湾に来ることになったのでしょうか。
第一次世界大戦後、民族自決主義の流れは日本の統治地域台湾にも影響し、軍部主導の統治、つまり憲兵政治が破綻しました。その後、日本と同様の制度を植民地である台湾にも適用するという主張「内地延長主義」を展開させるため、1919年、文官総督である田健治郎が台湾総督に就任し、「内台融合」や「一視同仁」などの方針を唱え、日本の法律を台湾に適用しました。また、台湾人と日本人の共学を許したり、台湾人と日本人との結婚を認めたりもしました。原首相と田総督は、内地延長主義による台湾統治体制を権威づける総仕上げとして、皇族の台湾行幸を計画したのです。でも、ずっと台湾行幸をご希望なさっていた大正天皇は健康問題から行幸は叶いませんでした。そこで皇太子である裕仁親王が大正天皇の名代として台湾行幸をすることになったのです。
台湾行幸日程
1923年4月16日に基隆港に到着、4月27日に横須賀に向けて基隆港を出発なさるまで12日間の日程で台湾各地を回りました。
16日~18日台北、19日新竹と台中、20日台南、21日高雄、22日屏東、23日高雄港発、
24日~27日台北、27日基隆港発、御召艦「金剛」で帰路に。
往路は台湾総督府鉄道縦貫線で台北から高雄、屏東まで途中下車しながら南下し、復路は高雄港から船で基隆港まで戻りました。ご滞在中は、各地で研究所、産業施設、学校、軍事施設、工場、官庁などを中心にご訪問なさいました。
あれから100年、ご訪問地の今はどうなってる?
基隆港から台北駅に到着後、御召馬車で台北御泊所である台湾総督官邸に到着しました。これは今、総統府のすぐ前にあり、台北賓館(迎賓館に相当)として使われています。

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翌17日、裕仁親王は台湾神社をご参拝されました。台湾神社ご参拝のために整備された道路が勅使街道で、今の中山北路です。1952年、台湾神社の跡地に圓山飯店(グランドホテル台北、円山ホテル)が建てられました。