2023-04-09 観光

懐かしく甘酸っぱい味わい

注目ポイント

40~50年前の台湾では、夏になると「四果氷」というかき氷がよく売れた。プレーンなかき氷の上に4種類の蜜餞(フルーツの砂糖漬け)をのせたものだ。木瓜籖(パパイヤの千切り)、李仔糕(スモモの砂糖漬け)、楊桃乾(乾燥させたスターフルーツ)、李仔鹹(スモモの塩漬け)などで、年配の人々にとっては懐かしい味だ。台湾ではさまざまなフルーツが大量に生産されており、昔の農家は生産過剰の問題を解決するために、フルーツを砂糖や塩で漬けて保存食にした。芒果青(砂糖と塩で漬けた青いマンゴー)なども、おやつとしてよく食べられていた。 砂糖漬けフルーツの産地としてよく知られているのは、彰化県の百果山、台南市の安平、そして宜蘭県の礁渓だ。現在では工場生産に変わったが、百年以上続く蜜餞の老舗の物語から、往時の「甘酸っぱい」味わいをしのぶことができる。

「老増寿」の店内に入ると、入り口には日本統治時代に同店に贈られた賞状の写真が飾られている。お客が次々と入店してくる。外国に暮らしていてホームシックになっている友人に送るという人もいる。

五代目経営者の姉は、幼い頃に金棗(キンカン)の蜜餞を作る時、農家の人々が次々とキンカンを届けてくると、まず果実の大きさによって分類していたのを覚えている。大きさを分けて、それぞれ金棗糕、金棗飴、金棗乾を作っていた。この三つの違いは乾燥の度合いだ。金棗糕は比較的ねっとりしていて、金棗飴は表面に砂糖がまぶしてあり、金棗乾は天日干しにしたものだ。金棗糕が最も大きく、金棗乾は小粒で作る。

分類したら、まず木桶にいれて水に浸す。大量の水で表面の汚れを落とし、それから陶器の甕に入れて漬ける。味が付いたら再び水にさらし、最後に大鍋に入れて砂糖と水飴と一緒に煮込み、取り出して乾燥させる。ただ、現代社会では蜜餞の需要が高まり、従来の方法では対応しきれないため、老増寿では自宅にあった生産ラインを工場へと変えた。

キンカンは「宜蘭三宝」の一つで、地元の人々にとっては昔から親しんできた味だ。

宜蘭人が懐かしむ金棗糕

農業委員会の調査によると、台湾のキンカンの9割は宜蘭県で生産されており、主に礁渓や員山のあたりで採れる。雨が多く、土壌の排水が良いため「キンカンの郷」と呼ばれている。

宜蘭の歴史や文化を研究する荘文生さんは、まず店の位置から分析を始める。多くの蜜餞店が中山路に集中しているが、清の時代、ここは商店や漢方薬店が集中している通りだった。荘文生さんが幼い頃は、キンカンの季節(11月~3月)になると、どの家も通り沿いでキンカンを処理していたので、通り一面が黄色に染まっていて、中山路は「金棗街」と呼ばれていたという。

キンカンは皮に甘味があり、果実は酸っぱいので、宜蘭の人々はキンカンの実を刺して果汁を抜き、それから砂糖漬けにしていた。荘文生さんも自分で簡単な蜜餞を作る。果汁を絞り出した後、塩と氷砂糖に漬けて冷蔵庫に寝かせておくと、おいしい砂糖漬けになるそうだ。春節には、荘さんも食卓にキンカンの蜜餞を出す。丸い黄金色の見た目がおめでたいということで、「キンカンを食べれば、よい年が送れる」と言われている。

また、キンカンには喉や肺を潤す効能がある。宜蘭は歌仔戯(台湾オペラ)の発祥地であり、役者たちは舞台に上るまえにキンカンを食べ、キンカンの蜜餞にお湯を注いで飲んで喉を潤したと言われている。

「橘之郷」では、蜜餞に砂糖と塩しか使わないことにこだわっている。

自然派のキンカンブランド

現代では蜜餞の需要が増していて、伝統的な作り方では供給が追い付かないため、多くの業者は甘味料や保存料などの添加物を加えている。しかし、宜蘭の老舗「橘之郷」では砂糖と塩だけしか使わず、屋内の生産環境を厳しく管理している。

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