注目ポイント
40~50年前の台湾では、夏になると「四果氷」というかき氷がよく売れた。プレーンなかき氷の上に4種類の蜜餞(フルーツの砂糖漬け)をのせたものだ。木瓜籖(パパイヤの千切り)、李仔糕(スモモの砂糖漬け)、楊桃乾(乾燥させたスターフルーツ)、李仔鹹(スモモの塩漬け)などで、年配の人々にとっては懐かしい味だ。台湾ではさまざまなフルーツが大量に生産されており、昔の農家は生産過剰の問題を解決するために、フルーツを砂糖や塩で漬けて保存食にした。芒果青(砂糖と塩で漬けた青いマンゴー)なども、おやつとしてよく食べられていた。 砂糖漬けフルーツの産地としてよく知られているのは、彰化県の百果山、台南市の安平、そして宜蘭県の礁渓だ。現在では工場生産に変わったが、百年以上続く蜜餞の老舗の物語から、往時の「甘酸っぱい」味わいをしのぶことができる。


文・謝宜婷 写真・林格立 翻訳・山口 雪菜
前菜に四品の蜜餞
台湾料理の推進に力を注ぐ作家の黄婉玲が主催する「阿舎宴」では、オードブルに「蜜餞(果物の砂糖漬け)四品」を供し、来賓に懐かしさを感じさせている。黄婉玲は4種類の蜜餞の味の調和を重視し、こだわりを持って選んでいる。木瓜籤(パパイヤの千切り)、蜜李(スモモの砂糖漬け)、橄欖(カンランの砂糖漬け)、無仔李鹹(種をとったスモモの塩漬け)などは、昔ながらの作り方を守っている蜜餞の店から購入する。生産量は限られているので、玄人の間でしか知られていない店だ。
黄婉玲は「良い蜜餞は、食べた後に喉の渇きや渋みを感じないものです」という。伝統的な作り方では甘草を加えるが、多すぎるとしょっぱくなり、その塩梅は老舗の技にかかっている。原料のフルーツは、漬ける前に押しつぶしたり、叩いたりするものもある。最後には十分に時間をかけて発酵させるため、伝統的な作り方を守ると数か月かかるのである。
味が良く染みた蜜餞を熱湯に浸して適量の梅子粉(梅の砂糖漬けを乾燥させて粉状にしたもの)を加えると、懐かしい「四果茶」になる。陶器の茶碗に蜜餞を入れて湯を注ぎ、茶碗の蓋でフルーツをよけながらゆっくり動かすと味が均等になる。果物の香りに、漬け込んだ砂糖や塩の味が加わり、黄婉玲にとっても忘れられない味だという。四果茶を飲み終えたら、小さなフォークで中の蜜餞を取り出して食べる。「お湯に浸した後の蜜餞は味が薄くなっていて、また別の味わいがあります」と黄婉玲は言う。しかし、現在はこの四果茶を売る店はほとんどない。四果茶に欠かせない木瓜籤を作る人が非常に少ないからだ。

宜蘭の百年の老舗
現在、創業百年を超える蜜餞の老舗は2軒しかない。ひとつは宜蘭の「老増寿」、もう一つは台南の「林永泰興蜜餞行」だ。蜜餞に関する歴史的文献は多くはないが、日本統治時代の資料によると、老増寿(昔の店名は老寿堂)の創業者である朱応賓の当時の戸籍上の職業は薬種商ということだ。漢方薬店を開いていたのだが、生薬を用いた砂糖漬けの果物も販売していて、薬を買いに来た人がついでに買っていき、そのうち口コミで広く知られるようになったのである。
日本統治時代の1903年、大阪で「勧業博覧会」が開かれ、台湾の「菓子類」として、李仔糕(スモモ)、鳳梨糕(パイナップル)、蜜楊桃(スターフルーツ)、白冬瓜(トウガン)、蜜柑の砂糖漬けなどが出品された。そのうち朱応賓が作った李仔糕が三等賞に輝き、また台北庁、台中庁、台南庁を代表して出品された果物の砂糖漬けが銀メダルをはじめとする賞を受けた。1907年、朱応賓は東京の勧業博覧会にも参加し、キンカンやスモモの砂糖漬けが受賞した。この二つは台湾のお年寄りが言う棗仔糕と李仔糕である。