2023-04-04 政治・国際

植民地時代の略奪美術品、「返還問題は尽きない」

注目ポイント

アフリカのベニン王国から略奪された美術品が、スイスの美術館でも数十年前から展示されていたことが、先月発表された報告書で明らかになった。美術館側は返還に対して前向きだ。

チューリヒ湖を望むリーター公園。「19世紀の栄華」が今も健在するとチューリヒ観光局が褒めそやす場所だ。樹齢数百年のブナの木が天高くそびえ立ち、遠くアルプスも眺め渡せる小高い丘。その真ん中に、世界中の芸術宝蔵品を展示するリートベルク美術館が建つ。

ティジャニ氏は、スイスに展示されているベニン・ブロンズの今後について、リートベルク美術館が音頭をとるプロジェクト「スイス・ベニン・イニシアチブ」との話し合いに臨むナイジェリア派遣団の一員だ。「これらの美術品を本来の所有者に返して、合法に展示する機会を、つまり美術館が正しいことを行える機会を作りたい」と語る。

ナイジェリア国立美術館・遺跡評議会のアバ・ティジャニ議長 Keystone / Oliver Berg

国際的な議論のコア的象徴

ベニン・ブロンズは今や、アフリカの文化財の取り扱いをめぐる議論を象徴する存在になっている。その多くが略奪された美術品だからだ。

1897年2月28日、いわゆる「懲罰遠征」で1200人の英兵がベニンの町に襲来し、すべてを焼き尽くしてベニン王国をイギリス帝国に隷属させた。そして、価値ありと見なしたものを一つ残らず略奪した。何千点もの彫像や記念銘板のほか、美しい彫刻を施した象牙も持ち去った。これらの品々の総称がベニン・ブロンズだ。

イヨバ王妃を表す仮面。1970年代以降、ベナン・ブロンズの返還闘争を象徴する存在だ CC0 1.0 Universal

ベニン・ブロンズの略奪には、植民地主義を象徴する暴力がくっきりと表れている。ベニン王国にとってブロンズ像はとても重要な存在だった。ティジャニ氏によると、「ベニンでは、王を意味するオバが変わる度に、即位した王が像を1体作らせた。像は権力の象徴であり、王国史の記録にも使われてきた」。ベニン・ブロンズが返還議論の中でなぜ聖像のごとく扱われるまでになったのか。そのもう1つの理由がここにある。略奪とともに、歴史まで盗まれてしまったためだ。

戦いの前線から英国へと持ち去られた美術品はまもなく美術市場へ、そしてそこからスイスの収集家や美術館にまで流れてきた。「懲罰遠征」の略奪品は、長い間その真正性の高さが評価されてきた。

スイス・ベニン・イニシアチブがナイジェリアの歴史家や学芸員らと共同で作成した報告書他のサイトへによると、スイスで展示されているベニン・ブロンズ96点のうち21点は確実に、また32点はおそらく略奪品であり、全体の半数以上を占めていることが現在明らかになっている。

そして2月に発表された共同声明には、略奪が確定もしくは推定される美術品については、ナイジェリアの所有財として同国への譲渡に前向きに臨む旨が記されている。

⎯  続きを読む  ⎯

あわせて読みたい