注目ポイント
昨年11月の台湾の統一地方選で、台北郊外の新北市議に当選した「山田摩衣」さんは、父親が日本人、母親が台湾人だといい、自身は「台湾生まれで台湾育ちの台湾人」だと語ってきた。もし日本国籍を併せ持つ場合、台湾の選挙には出馬できないはずだが、どのようにクリアしたのか。このほど山田摩衣さんの新事務所開設に合わせた懇談会が開かれ、最近台湾で帰化したばかりの台北在住のライター、広橋賢蔵氏が出席。その素顔に迫った。
昨年11月に初当選、33歳
「摩衣(モイ)!」
台湾の支持者たちはこんな風に彼女を呼んでいる。
台北市をぐるりと取り囲むような新北市(旧台北県)の新たな市議会議員となった山田摩衣さんの名は日本語でなら「やまだまい」だが、中国語(普通話)発音なら「シャンティエンモイ」となる。昨(2022)年11月26日に行われた新北市議選第5選挙区(=板橋区、定員9)に、与党・民主進歩党(民進党)公認候補として「山田摩衣」の名前で出馬。21人が立候補する乱戦を制して得票数19,740(得票率7.7%)、全体の第5位で見事初当選を果たした。
そんな彼女の、新事務所開設を記念し、支持者やメディアを招いた茶会(懇談会)が3月26日に開かれたため、最近「中華民国」籍を取得したばかりの筆者も出席した。
日本人から台湾で帰化申請し、認められたものの、日台間に正式な外交関係がないため、日本国籍の放棄に至らず必然的に二重国籍者となった筆者にとっては、今回選挙に出馬、当選し公職に就いた山田摩衣さんは、非常に興味深い人物だったからだ。
この事情については先の連載【余はいかにして“台湾人”となりしか】で詳しく書いた。
連載第3回で触れたように、二重国籍者は台湾では公職に就けず、当然選挙にも立候補できない。つまり普通の日本人からの帰化手続きなら台湾の選挙に立候補できないはず。しかし目の前には現実に「摩衣ケース」が存在している。いかなるカラクリなのか。「茶会」はそんな筆者の脳裏の疑問符をぶつけるのに絶好のインタビューの機会となった。
事務所の公表によると、山田摩衣さんは1990年1月10日生まれで、現在33歳。中国文化大学文学院英国語文学系(文学部英文科)卒。選挙運動の際の演説では常に、「父が日本人で、母は台湾人。私は台湾生まれで台湾育ちの台湾人」だと。中国語(普通話)で強調していた。
その立候補当時の選挙事務所は板橋区内のビル2階という不便さがあったが、晴れて議員になったことで利便性の良い事務所の運営資金のめども立ち、日々の活動の便宜などに配慮したのだろう。同区内で角地1階と言う便利で目立つ場所に立派な新事務所が完成し、この日お披露目された。今後はここを窓口に、市民らから行政上の相談や陳情を受けつつ市議としての政務、公務を果たしていくことになる。
「朝早くからこんなにたくさんの皆さんに来てもらえて感謝します」
この日、事務所に登場した山田摩衣さんが、中国語(普通話)であいさつすると、待っていた支持者たちは握手や記念撮影を求め、薬剤師組合や周囲の地区の里長(町内会長に相当をはじめ、関係議員らが次々にあいさつ。山田摩衣さんはそれぞれに笑顔で中国話や台湾(ホーロー)語などを使い分けて明るく対応していた。

