2023-03-24 政治・国際

【黒鳥英俊の動物万歳!】① アジア有数の台北市立動物園に潜入してみたZOO!

注目ポイント

日本統治時代の1914(大正3)年に開園し、台湾最古の歴史を誇る台北市立動物園。戦時中には日本の他の動物園同様、空襲などに備えて猛獣の殺処分が行われるなど光と陰をともにしたが、日本が台湾から去った戦後も動物の交換などでその交流は維持された。上野動物園や多摩動物公園で主に大型類人猿の飼育を担当し、現在、認定NPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパン理事長および日本オランウータン・リサーチセンター代表として大学などで類人猿の保護、啓蒙活動を行う黒鳥英俊氏が台北市立動物園の魅力に迫る。

日本時代に誕生!台北動物園

みなさんは台湾の動物園や水族館に行ったことがありますか。

現在、台湾にはおよそ20弱の動物園と水族館があります。

日本には(公社)日本動物園水族館協会(JAZA)に加盟している動物園や水族館だけでも140施設と世界的に数はとても多いのです。しかし、台湾の台北市にある台北市立動物園(臺北市立動物園)は、いまやシンガポール動物園とならび、アジアで1、2を争う大動物園なのです。

台北市動物園正門(筆者提供)
正門近くの教育センターでは動物園の「歴史」を展示している(筆者提供)

実は台湾の動物園と日本の動物園とは、歴史的にとても深いつながりがあり、いまもなおお互い協力しあっている存在です。今回はこの、アジアをリードする台北市立動物園(以下、台北動物園)のことをお話ししましょう。

日本では東京・上野動物園が1882(明治15)年に開園しました。今年3月20日で141周年を迎えた日本一古い動物園です。その後、京都市動物園(1903年)、箕面動物園(1910年)大阪・天王寺動物園(1915年)と続いていくわけですが、台北動物園もそのころの1914(大正 3)年に開園した動物園です。

台北動物園は、以前は市内の円山(圓山)公園にあったことから「円山動物園」と呼ばれ親しまれていました。壮麗な外観で有名なホテル・円山大飯店(戦前は台湾神宮があった場所)の近くです。そして1986年(昭和61年)に現在の文山区木柵に移転し、地元ではその地名から木柵動物園と呼ばれています。これは京都市動物園が岡崎動物園と呼ばれているのに似ており、いかに地元で愛されているのかが、よくわかります。

台北市動物の正門前にある電話機(手前がセンザンコウ・奥がオニオオハシ)(筆者提供)
台北動物園で記念撮影する筆者(筆者提供)

台北でも戦時中に猛獣殺処分

戦時中の上野動物園を題材にした「かわいそうなぞう」(土家由岐雄)という本がありますが、戦争が激しくなると日本のあちこちの動物園で猛獣など危険な動物を殺処分するようにと軍からの指令がきました。日本の統治期の台湾でも同じように台北動物園でライオンなどの猛獣が殺されています。動物園は平和の象徴。いまなお世界のどこかの動物園で動物や職員が戦争の犠牲になっているということは、とても辛いことです。

さて、この歴史ある台北動物園ですが、終戦で日本が台湾から去った後も、日本の動物園ととても深い付き合いを維持していたのがわかります。私の勤めていた上野動物園だけをみても、そのころから動物を通しての交流が盛んに行われていました。

古くは1955年に、台北の愛護動物協会からスイギュウ1つがいが上野動物園に到着し、そのお返しにシェパード2頭が台北側におくられた記録があります。

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