注目ポイント
侍ジャパンの活躍が注目されるWBC。今回台湾は惜しくも予選敗退したが、2013年WBCでの日台の熱戦と爽やかな交流は球史に残るゲームだった。それだけに台湾代表チームの来日が幻となったことに対し日本の野球ファンの落胆も大きく、SNS上には台湾敗退を惜しむ声が続出。1931(昭和6)年夏の甲子園大会で準優勝した台湾・嘉義農林学校にさかのぼる日台の野球を通じた絆を想起させた。金城学院大(名古屋市)文学部講師で戦時下の学徒動員などに詳しい小野純子氏がWBC白熱の今、嘉義農林学校野球部OBで、名将・近藤兵太郎監督の最後の教え子・蔡清輝さんとの交流を紹介する。
その日程の中で、藤川さんは現在も新港に住んでいる蔡清輝さんと対面を果たした。
蔡清輝さんにとって、川原信男は実際に会ったことはないが、自身が尊敬する近藤兵太郎監督の教え子であり、嘉義農林学校野球部を準優勝に導いた大先輩にあたる。
当日、筆者は藤川さんらを連れて新港の蔡清輝さんの自宅を訪れた。
蔡清輝さんはKANOのユニフォームを、藤川さんはKANOのTシャツを着用し、初対面を迎えた。蔡清輝さんは、生前会うことのなかった亡き大先輩の姪っ子である藤川さんの訪問を歓迎し、多くの資料を準備してくださった。藤川さんも川原信男氏の写真や資料を多く持参してくださり、お互いにエピソードを交えた嘉義農林の話、野球の話、映画の話に花を咲かせた。同行した筆者らも蔡清輝さんの大先輩の家族とつながったうれしい様子、藤川さんの蔡清輝さんの声を聞けたと喜ぶ様子をみて感動を覚えた。
映画『KANO』をきっかけに、これ以降、蔡清輝さんと川原家の交流が始まった。互いが互いに当時の話を聞くことができる、そういった縁が結ばれたのだ。

藤川さんと対面を果たした後の蔡清輝さんは筆者に度々、「川原先輩の姪っ子さんは元気ですか」と連絡をくださっていた。その後、新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)により、一時的に交流は難しくなったが、両者は2022年9月にオンラインで再開を果たし、近況を語りあった。筆者は、2022年3年ぶりに新港の蔡清輝さん宅を訪れ、その際にオンライン機能を使用した。蔡清輝さんは、久しぶりに藤川さんの顔をみて喜んでおり、「川原先輩に万歳!」と仰っていた。また、藤川さんからは川原信男氏の写真やKANOのグッズが集められた部屋を見せてくださり、また台湾と関わりのあるお嬢様を紹介してくださり、「必ず台湾に、蔡清輝さんのところへ遊びに来ますね」と約束をした。
藤川氏さんは、嘉義を再訪し、蔡清輝さんと再会する日を心待ちにしている。そして、蔡清輝さんもそれを心待ちにしている。

蔡清輝さんとの再会
さて、2023年9月18日、3年ぶりの台湾訪問がかない、嘉義・新港の蔡清輝さん宅を再び訪ねた。蔡清輝さんは御年96歳であるが、LINEを使いこなしており、コロナ禍で直接会えなかった期間にも日本にいる筆者に電話をくれるほど最先端の通信機器を使いこなしている。
ご自宅を再訪した日も、嘉義農林学校野球部のユニフォームを着て、スマートフォンで日本の歌謡曲の動画を視聴しながら筆者を迎え、「お昼ご飯を買ってくるよ」と元気な姿を見せてくれた。
蔡清輝さんと出会って8年が経った。映画『KANO』や嘉農学校野球部の話だけではなく、蔡清輝さんが経験した日本統治、戦争経験、戦後そして現在までの話をたくさんうかがうことができた。また、映画をきっかけとした後世の「つながり」にも関わることができ、研究者冥利に尽きる出会いだったと、光栄に思っている。蔡清輝さんが語り続ける、野球を介した日本と台湾の絆の象徴・嘉農野球部の物語に、多くの日本人が関心を持ってくれたならば幸甚である。
なお今回とりあげた蔡清輝さんについて、筆者は名古屋市立大学日本文化研究会編『アジアの中の日本文化-ことば・説話・芸能』(風間書房、2019年)第3部に「台湾に残る日本の姿-『KANO』と蔡清輝氏のお話」としてまとめている。今回は、同書の中に記録しきれなかった蔡清輝さん関連のエピソードや、執筆後の状況などをまとめた。ご興味ある読者には『アジアの中の日本文化』も、ぜひ手に取ってもらいたい。