注目ポイント
侍ジャパンの活躍が注目されるWBC。今回台湾は惜しくも予選敗退したが、2013年WBCでの日台の熱戦と爽やかな交流は球史に残るゲームだった。それだけに台湾代表チームの来日が幻となったことに対し日本の野球ファンの落胆も大きく、SNS上には台湾敗退を惜しむ声が続出。1931(昭和6)年夏の甲子園大会で準優勝した台湾・嘉義農林学校にさかのぼる日台の野球を通じた絆を想起させた。金城学院大(名古屋市)文学部講師で戦時下の学徒動員などに詳しい小野純子氏がWBC白熱の今、嘉義農林学校野球部OBで、名将・近藤兵太郎監督の最後の教え子・蔡清輝さんとの交流を紹介する。
蔡清輝さんは、筆者の専門分野に配慮してか、いろんな質問を投げかけても、その本分ともいうべき野球部の話はあまりしなかった。
あるいは蔡清輝さんの嘉義農林学校での「思い出」としては、野球よりも戦争や終戦、戦後の混乱のほうが強く記憶に残っていたからなのかもしれない。
たしかに蔡清輝さんは1931年やその後の甲子園出場メンバーのころの期生と直接の交流はない。しかし同じ近藤兵太郎監督の下で野球に打ち込み、「伝統の嘉農精神をたたきこまれた」ということは、まぎれもない事実だ。
だが、蔡清輝さんの口から飛び出した数少ない野球に関しての話題は、まさにその「嘉農精神」のことだった。
「『嘉農精神』とは『日本精神』のことであり、それを後世に伝えていくために私は日本語で書きものをしている。若い台湾の青年にも分かるように中文(中国語)でも書いている。他の学校にはない『嘉農精神』はとても強いもので、しかし実はみんなが持っているものでもある。先生を尊敬する精神、後輩を可愛がる精神、学術と技術を合致させた精神である」。
まさに蔡清輝さんは、その「嘉農精神」を残そうとしてKANOの語り部となったのである。
この時の聞き取りは、後日学術紀要や博士論文という形で結実にした。

映画『KANO』でつながった蔡清輝さんと先輩の縁
さて、最近の蔡清輝さんと映画『KANO』の話を少しご紹介しよう。
『KANO』で描かれていた1931年準優勝メンバーの一人に川原信男という人物がいる。嘉農野球部の選手として、1933年にも甲子園大会に出場した守備に定評のある8番セカンド。他の2人の日本人選手と共に「鉄壁のトライアングル」と呼ばれていた。
嘉義農林学校を卒業した後は、営林所嘉義出張所に勤めていたが、日中戦争が勃発した翌年の1938年に召集を受けて出征し、1945年、陸軍軍曹として南洋の地で戦死した。川原信男は男女7人きょうだいの長男である。その末っ子、四男の川原昇の娘にあたる藤川とき恵さんは、映画『KANO』を見て、叔父である川原信男の活躍を知ることになる。
筆者はこの藤川とき恵さんとも交流を持った。
2018年、公開されている筆者の論文を見た藤川さんからSNSで筆者に連絡があったことに始まる。
2019年は嘉義農林学校の後身である「国立嘉義大学」が創立100周年を迎えた年であり、これを記念した「第15回嘉義研究学術研討会」に筆者が参加した際、藤川さんと、山室ひろみさん(映画『KANO』で9番ライト福島又男役を演じた山室光太朗氏の母)も渡台して、ともに嘉義大を訪問された。