2023-03-20 政治・国際

【アンソニー・トゥ回顧録】③ 第二の故郷コロラドでの研究生活と退職準備

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注目ポイント

日清戦争(1894~95)の結果、下関条約によって台湾は1945年まで約半世紀の間、大日本帝国の統治下に置かれた。台湾医学の先駆者となった杜聡明氏の三男として生まれ、戦後、米国で世界的な毒性学の権威となり、日本の大事件解決にも協力した杜祖健氏が、留学を機に台湾から移り住んだ米コロラドでの生活や、退職の準備に奔走した日々を振り返る。

その点コロラドなら、日本の大きさの4分の3弱であるものの人口は200万人ぐらいである。土地も随分と安く、結局私が一番初めに買ったのはこのコロラドの610エーカー(2.47平方キロメートル)土地で、おおよそ22万ドルで購入した(図3)。

(図3)私が初めて買ったコロラドの草原(筆者提供)

これからお金が少し溜まると土地をチョコチョコと買うようになり、最終的に高度3,000mに森の中に別荘を1件建てた(図4)。

(図4)森の中に建てた別荘(筆者提供)

この土地は全体の4分の1が草原で4分の3が森である。

クマに襲われるのが怖いので、森の方にはあまり行かず、ここで滞在中は主に草原の方を楽しんでいた。

しかしそれでも熊に遭遇した時の護身用としてピストルを1丁購入した。米国ではピストルを買うのは簡単で誰でも買える。山の別荘にはあらゆる野生動物の来訪がある。それは主に私たちのいない時が多い。

別荘に取り付けている防犯ビデオカメラから、これらの動物が遊びに来ていることがわかる(図5)。(つづく)

(図5) 別荘に遊び来る大きなトナカイ。他にもクマ、ピューマ、野生のイヌ、 ネコなどがよく遊びに来るようだ。

 

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