注目ポイント
台北市の郊外に位置する陽明山。ここは台湾北部を代表する景勝地で、温泉地としても知られている。日本統治時代は「草山(そうざん)」を名乗り、保養所や別荘が多く集まっていた。そして、ここは台湾屈指の花の名所でもあり、桜やツツジをはじめ、最近はカラーや紫陽花(あじさい)の栽培でも知られている。

戦前からの行楽地・草山
台湾の北部、台北市の北側に位置する陽明山は、日本統治時代に「草山(そうざん)」と呼ばれていた土地である。陽明山と言っても、具体的な山峰を示すのではなく、標高1000メートル前後の地域一帯を示す。ここは台湾を代表する行楽地であり、週末には山歩きやハイキングを楽しむ人々で賑わう。
日本統治時代、草山は名湯で知られ、台湾においては、北投(ほくとう)や関子嶺(かんしれい)、四重渓(しじゅうけい)とともに、四大温泉の一つに挙げられていた。硫黄を含み、白濁した湯は多岐にわたる効能を誇るため、湯治客も多かった。現在も浴場施設やスパリゾートがいくつも見られる。
台湾の北部は火山地帯であり、標高1092メートルの大屯山は台湾唯一の活火山となっている。そして、北投から金山(きんざん)にかけては断層が走っており、豊かな地表水が地下熱源によって加熱され、温泉となる。それだけでなく、七星山では熱気と湯が地殻の隙間から吹き出す噴気孔なども見られ、景勝地となっている。

台湾屈指の名湯と雪景色
歴史をさかのぼると、草山は日本統治時代から景勝地として親しまれていた。1927(昭和2)年に台湾日日新報が実施した「台湾八景」の公募では、台湾十二勝の一つに選出され、これが大屯国立公園の前身となった。1937(昭和12)年12月27日には公示を受け、「新高(にいたか)阿里山」、「次高(つぎたか)タロコ」とともに国立公園に指定されている。
大屯国立公園は総面積8265ヘクタールで、当時の国立公園の中では最小だった。しかし、域内には七星山(1120メートル)や大屯山のほか、淡水河の対岸に位置する観音山(616メートル)なども含み、秀麗な景観で知られた。また、冬場には北東季節風の影響で降雪を見ることもあり、これもまた名物となっていた。

草山(陽明山)の歴史
草山という地名は清国統治時代にはすでに文献に見られる。日本統治時代にもこの名は受け継がれたが、戦後を迎え、中華民国政府が台湾の統治者になると、明代の儒学者・王陽明にちなみ、「陽明山」と改名された。実際のところ、この地と王陽明は何ら関わりをもたないが、国民党政府の一党独裁時代、統治者の交替を人々に植え付ける効果を狙い、こういった地名改正が台湾各地で行なわれた。
この一帯は古くから硫黄の採掘が行なわれており、17世紀にはスペイン人が硫黄の調査を試みたという記録がある。周知のように、硫黄は火薬を製造する際に用いられ、重宝されていた。台湾産の硫黄は良質なため、遠く欧米までもその名が知られていたと伝えられる。
日本統治時代には冷涼な気候を活かして、農地の開発も進められた。現在、台湾で産する米の大半を占める「蓬莱米」の研究もここで行なわれた。そして、陽明山一帯は野菜の栽培も盛んであり、野菜料理を供するレストランが点在している。これらは味の良さで知られ、観光客の呼び込みに大きく貢献している。
なお、日本人による草山の温泉開発は1909(明治42)年頃と、北投に比べるとやや遅い。これは1895(明治28)年の台湾割譲当時、この一帯には土匪(匪賊)が跋扈しており、その対策に追われていたからである。しかし、治安の安定に伴い、その後はめざましい発展を遂げていく。1913(大正2)年には公共浴場が設けられ、旅館のほか、別荘や保養所などが次々に建てられていった。